新近江名所圖会 第126回 戦国時代の石垣が残る城-宇佐山城-

(大津市南滋賀町)

宇佐山の遠景

宇佐山の遠景

 宇佐山城は、JR湖西線大津京駅から北西1.4kmにある宇佐山(標高336m)の頂上に造られた城です。遠くから見ると頂上は平坦な形をしていて、そこに建てられたテレビ塔を見つけることができます。
 この城へ行くには、山腹にある宇佐八幡宮の参道から登っていきます。参道を本殿の近くまで進むと、宇佐山城へ登るルートを示す案内板が現れ、山道となったルートを尾根にそって登っていきます。迷いそうな山道ですが、地元の小学生が作った道標に従って20分ほど行くと、石垣が現れ、宇佐山城に到着することができます。
 奈良県にある興福寺の僧が書いた『多聞院日記』には、この城が造られた時期を示す文章があります。それによると、永禄13年(1570)3月に、織田信長の家臣である森可成(森蘭丸の父)によって築かれてたとあります。このころ信長は、越前の朝倉義景や江北(近江北部)の浅井長政などと争っていることから、琵琶湖西岸を押さえる目的でこの城を築いたとみられます。結果的に先の記録から半年後の元亀元年(1571)9月には、朝倉・浅井軍は琵琶湖西岸を通って侵攻していて、それを阻止する森可成との間で合戦が生じます。これを機に始まる合戦は「志賀の陣」と呼ばれ、朝倉・浅井軍を庇護する山門(延暦寺)をも巻き込んで戦いが行われました。森可成は初めの戦いで討死しますが、宇佐山城は落城せず、この地へと進行した信長がここに陣を張って合戦の拠点とします。膠着状態となった両者の戦いは、信長が朝倉・浅井軍と和議を結んだことで終わることとなり、この城の役割も一端は終わるのですが、明智光秀が坂本城を築く前までこの城を拠点としていることから、引き続き琵琶湖西岸を押さえる拠点としての役割を担っていたと考えられています。

おすすめPoint

宇佐山城の石垣

宇佐山城の石垣

 宇佐山城には、テレビ塔が立つ主郭を中心に南北に並ぶ3つの郭があります。これらの郭にみられる特徴のひとつとして、石垣が用いられていることが挙げられます。石垣は、主郭の北側裾部や鞍部を挟んで主郭の北に位置する郭の東側裾部などに残されています。このうち、主郭の北側裾部のものが城へと登ってきたときに目にする石垣になります。いずれもそれほど高さがあるものではないですが、石垣を備えた当時の姿をうかがうことができます。石垣の存在は、この城が戦いに際し臨時的に造られたものではなく、周辺の交通路を押さえる目的で造られた城であったことを示すものとして考えられています。なお、これらの石垣については、天正4年(1576)に安土城を築く際に壮大な石垣を用いた織田信長が、近江の中で最も早くに築いた石垣として評価されています。

周辺のおすすめ情報

 宇佐山の山腹にある宇佐八幡宮は、平安時代後期の武将である源頼義によって、治暦元年(1065)にこの地に勧請されたと伝えられています。毎年9月に行われる祭礼では、夜間に行われる神輿渡御に特徴があります。松明の光に照らされた中、本殿からふもとの拝殿へと神輿が担がれる様子は、大変勇壮です。

アクセス

【公共交通機関】JR湖西線大津京駅から徒歩40分、京阪石坂線近江神宮前駅から徒歩35分
【自家用車】西大津バイパス南滋賀ランプから宇佐八幡宮まで5分


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(中村智孝)

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