新近江名所圖会 第157回 木地師の村 その1

(東近江市政所町・蛭谷町)

 白洲正子の名作『かくれ里』(1971刊行)には、近江が度々登場します。今回御案内する奥永源寺の小椋谷(おぐらだに)に展開する集落は、作品の中で「木地師(きじし)の村」として紹介されています。正子はこれらの村々を「木地師の部落はいつしか私の心の中で、一つの象徴と化していった。今は失われた日本の姿、人間本来の生活が、そこには生き続けているように思えた。」と語っています。実際ここを訪れると、時の流れが止まったような、あるいは信じられないぐらいにゆっくりと流れる時間を肌に感じる思いがします。

政所八幡神社参道

政所八幡神社参道

 まずは政所からご案内します。筆者は神様の存在を深く信じ、自らも「ヌマ神」としてこの俗世に降臨しようと考えているヒトですから、どうしてもご紹介するのは神仏のことが中心となりますが、ご容赦願います。政所の集落のほぼ中央に八幡神社が鎮座しています。といっても、車で横を通っても神社の存在は分かりません。風情のある茅葺の建物が二棟近接して建っていますが、この建物と建物の間の狭い路地が神社の参道なのです。恐る恐る路地を通ると目の前に鳥居が現れ、その奥に山里とは思えないほど広い境内が広がります。異次元に迷い込んだような錯覚すら覚えます。境内の左手に石の玉垣で囲まれたマウンドがあり、中央に室町期のものと思しき宝筺印塔が建っています。
政所八幡神社惟喬親王墓

政所八幡神社惟喬親王墓

 この塔は、木地師の祖として神となった惟喬親王(これたかしんのう:844-897)の墓と伝えられています。惟喬親王は文徳天皇(826-858)の長子で、当然皇位を継ぐはずでした。しかし、弟の惟仁親王(これひとしんのう)に先を越され(清和天皇:850-881)、失意のうちにこの鈴鹿山中に隠棲し、親王を慕う山人達に、轆轤(ろくろ)を使って器物を挽く技を教えたと伝えられています。惟喬親王の墓はあちこちにあり、いかにこの流浪の貴公子が木地師たちの信仰を集めていたかがわかります。
政所茶の茶樹

政所茶の茶樹

 もう一つ政所で忘れてはならないものに、「お茶」があります。「宇治は茶処、茶は政所」と歌われたように、政所は隠れたお茶の名産地でした。ここの茶樹は一株一株丸い玉のように仕立てるのが特徴です。ほとんどが自家消費され、市場にはあまり出回らない幻のお茶として、密かに愛好されています。

蛭谷の景観

蛭谷の景観

 御池川を遡ります。目のくらむような谷沿いの道を行くと、やがて蛭谷に至ります。ここにも惟喬親王を祀る神社が建っています。その名は筒井神社。蛭谷なのになぜ筒井神社なのでしょうか? それは、元々は更に山奥に入った筒井峠に筒井千軒と呼ばれる木地師の集落がありましたが、ここが廃村になった後、神社だけが蛭谷に降りて来たのです。
 神社には木地師資料館が併設されていて、有名な氏子駈帳(うじこかりちょう)が保管・展示されています(見学は事前予約が必要<小椋さん:0748-29-0430>)。これは、良材を求めて全国の山を流浪する木地師達の戸籍管理台帳です。流浪する木地師達の本籍を小椋谷とし、戸籍の管理をするとともに上納金を徴収し、その見返りとして種々の特権を与え、その生活を保障するという、大切な事務をここで行っていたのです。この事務拠点を「筒井公文所」と呼んでいました。
 筒井神社には金属加工業者の納めた扁額がかけてあります。木工加工の轆轤ですが、旋盤もまた轆轤ということで信仰されているとのこと。
 おっと、紙数が尽きてしまいました。この続きは次回に。合掌。
筒井神社

筒井神社

筒井神社金属加工業者奉納扁額

筒井神社金属加工業者奉納扁額

アクセス

【公共交通】近江鉄道八日市駅から近江鉄道バス市原線永源寺支所行きで終点下車、政所線に乗り換えて政所バス停下車、徒歩5分
【自家用車】名神高速道路八日市ICより国道421号線を東へ約40分

(大沼芳幸)

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