新近江名所圖会 第168回 天智天皇がのこした大津宮2-近江大津宮錦織遺跡-

南門が検出された地点

南門が検出された地点

 667年、天智天皇によって都は大津宮へと遷都されます。奈良時代の『万葉集』や平安時代の『扶桑略記』などの文献史料には大津宮の所在地を、旧滋賀郡の大津と呼ばれる範疇の中にあって唐崎の近くに所在し、天智天皇の勅願によって建立された崇福寺からは東南方向にあると、記しています。この条件に合う大津市錦織で昭和49年(1974)に発掘調査が行われ、大津宮の建物とみられる遺構が発見されました。永らく明らかでなかった大津宮の具体的な場所が、この調査によって特定されることになりました。
 錦織遺跡は、京阪電鉄石山坂本線の近江神宮駅の西側に広がる遺跡です。柳川によって形成された扇状地のなかでも、扇頂部側の高燥な場所に位置しています。現在は住宅が建ち並んでいてわかりにくいですが、北西側から南東側に傾斜する地勢をしています。
 昭和49年に発見されて以降、錦織遺跡では住宅の建て替えなどに伴う小規模な範囲での調査が積み重ねられ、大津宮に関わる遺構がいくつも確認されています。その中でも主要なものは、内裏の南門や正殿とされる掘立柱建物です。南門は北東側の柱穴9基が確認されたもので、東西7間(21.2m)・南北2間(6.4m)に復元されていて、直径約50㎝もある柱が使用されていたと推測されています。東側には門から延びる回廊となる柱穴も確認されています。正殿は南門の北側約81mの地点で見つかっていて、南門とは軸を合わせて建てられています。建物の南東側が確認され、柱の配置などから四面に庇を持つ東西7間(21.3m)・南北4間(10.4m)の建物と想定されていて、規模や構造ともに正殿にふさわしい建物とされています。瓦が出土していないことから、これらの建物の屋根は板葺きか檜皮葺きだったと考えられています。
 このほかにも建物や区画を示す塀などが見つかっていて、断片的ながらも概ね東西南北に軸をそろえた遺構の広がりが確認されています。内裏の範囲は、南北約250m・東西約180mと想定されています。

おすすめポイント

正殿が検出された地点

正殿が検出された地点

 錦織遺跡の主要な遺構が見つかった地点は、地下に保存された遺構がわかるように整備され、案内板などが設置されています。先の南門や正殿が確認された地点では、柱が確認された位置が木柱で標示されていて、その位置や建物の大きさを知ることができます。
 また、住宅地内に整備されたこれらの地点を見て回ることによって、大津宮の規模や施設の配置がわかるとともに、限られた平坦地を利用してこの宮が造営されていたことを知ることができます。特に立地する地形は、現地を見学してこそわかる特徴といえます。
 なお、大津宮の中軸線にそって伸びる県道の北端には、観光用の駐車場が設けられています。

周辺の見どころ

 周辺には、南滋賀町廃寺や榿木原遺跡(第74回)といった大津宮にかかわる遺跡のほか、古墳時代前期の皇子山古墳(第20回)、戦国時代の宇佐山城(第126回)などの遺跡が点在しています。また、天智天皇を祭神として祀り、競技かるたの聖地としても知られる近江神宮(第132回)も錦織遺跡の北側に鎮座しています。これらは歩いて半日程度でいずれも見学することができますので、ぜひお出かけください。

(中村智孝)

カテゴリー: 新近江名所図会   タグ:   この投稿のパーマリンク

コメントは受け付けていません。