新近江名所圖会 第176回 クリンソウが咲く鶏足寺跡

旧鶏足寺跡

旧鶏足寺跡

 鶏足寺(けいそくじ)跡は、長浜市木之本町古橋の山岳信仰の霊地であった己高山(こだかみやま)(標高923m)の山中に所在します。この山中には古代から中世に数か寺の山岳寺院が栄えていました。伝承によれば奈良時代に行基(ぎょうき)・泰澄(たいちょう)が開基し、いったんは荒廃したが十一面観音菩薩像を本尊として、平安時代に最澄(さいちょう)が再興したとされています。室町時代の古文書によると、鶏足寺は己高山五箇寺のうちでもっとも栄えた観音寺の別院とされています。戦国時代には浅井氏の庇護を受け、他の寺院が衰退する中で江戸時代末まで存続しましたが、その後、無住となり荒廃し、残された権現堂も昭和8年(1933)に焼失し、その後は事実上廃寺となってしまいました。伝来した仏像だけが里の収蔵庫に安置され、地元住民によって祀られています。

境内内の五輪塔

境内内の五輪塔

 ここで鶏足寺への道のりを紹介します。與志漏(よしろ)神社の東側の林道を登ると、己高山登山道標識の立つ一合目にいたります。車の場合はこの下で駐車しましょう。鶏足寺跡に向かう山道は右手が尾根道、左手は谷道です。渓流に沿って谷道を登ります。三合目で渓流と分かれ、右手の枯沢の登山道に入ります。スギやヒノキの薄暗い植林帯の悪路を進みます。四合目で右手に折れると、明るい広葉樹林の西側斜面に出て、斜面をジグザグに登ります。最後の直登で五合目の尾根道に突きあたります。尾根道から登ると、五合目の200mほど手前で六地蔵に出会えます。1体の阿弥陀仏を中心に六地蔵がひっそりとたたずんでいます。小鳥のさえずりや足下の山ツツジ、ブナの白い木肌にいやされながら尾根道をひたすら登ります。「馬止め・牛止め」の巨岩を乗り越え、七合目の標識を過ぎると登りが終わり、「横懸道」をトラバースします。
庭園に咲くクリンソウ

庭園に咲くクリンソウ

 周辺にはいくつかの平地も現れ、寺跡が近いことをうかがわせます。緩い下り坂を過ぎると湿地帯が現れます。ここはかつての庭園跡で、片隅にその名が寺院の塔の九輪に由来するクリンソウがひっそりと咲いている姿は廃寺の庭園跡にふさわしい光景です。庭園跡を左手にみて進むと、一段高い平坦面に出ます。山裾に広がる平地には崩れかけた宝篋印塔や五輪塔、石柱が佇み、いくつかの礎石や基壇跡がみられます。平坦面の一段高い場所に9m四方ほどの本堂跡とみられる基壇があります。江戸時代の権現堂跡でしょう。20か所近い平坦面には所々に礎石や基壇がありますが、夏草に覆われ、中世の鶏足寺跡の栄華が偲ばれます。この地にあの十一面観音菩薩像があったと想うと感慨深いものがあります。山里から遠く離れた山中にひっそり佇む廃寺跡は、いにしえの山岳信仰の隆盛を彷彿とさせます。(神社から廃寺跡まで往復約4時間、健脚向)

古橋遺跡・古橋東遺跡

 與志漏神社周辺は縄文時代中期の遺跡で、地元の小学校や與志漏神社などに縄文土器や石器が保管されていました。かつて、神社の東側に切り開かれた農道の法面には、黒褐色の落ち込みや土器の破片がみることができました。確認調査では縄文時代中期後半の船元式、里木式の土器が多数出土したほか、100点以上の切り目石錘が見つかっています。集落の西を流れる高時川で漁撈を行っていたものと思われます。

製鉄遺跡跡

製鉄遺跡跡

 與志漏神社から鶏足寺跡向かう旧山道の左手山中に、滋賀県内ではもっとも古い時期(7世紀前葉)の製鉄遺跡が見つかっています。炉跡は石碑の建つ上の平地にあり、岩盤をはつって掘り窪めて炉床の基底部としており、製鉄炉としては未熟な構造でした。

己高閣・世代閣

己高閣

己高閣

 神社の境内に己高閣・世代閣の収蔵施設があります。己高閣には旧鶏足寺の本尊の十一面観音像や七仏薬師如来像などが収蔵されています。また、世代閣には岩戸寺の薬師如来像・十二神像や古橋遺跡の石器、古文書などが安置・展示されています。いくつもの平安仏が身近で拝観できる貴重な施設です。これらの仏像は廃寺となった後、地元の住民の厚い信仰により護り伝えられてきました。

(濱 修)

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