新近江名所圖会 第43回 矢橋の帰帆と矢橋道

草津市矢橋
矢橋港と矢橋道 (『琵琶湖と埋蔵文化財』水資源開発公団より)

矢橋港と矢橋道 (『琵琶湖と埋蔵文化財』水資源開発公団より)

 「瀬田へ回れば三里の回り ござれ矢橋の舟に乗ろ」と江戸時代に謡われた矢橋(やばせ)は、歌川広重の近江八景に描かれた「矢橋帰帆」の港です。
 矢橋の地は「近江のや 矢橋の小竹を 矢はがずて まことありえむや 恋しきものを」と万葉集にも詠まれているように、古代から有名な港であったと考えられ、中世には矢橋氏による矢橋城が築かれたといいます。
 中世以前には「もののふの 矢橋の船は 早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋」と言われたように、琵琶湖を行き交う船が風波に翻弄されることが多かったことと思われますが、江戸時代には船の性能の向上等により湖上交通における危険度は低くなってきたものと考えられます。
 江戸時代の矢橋港は、琵琶湖総合開発で設けられた湖岸堤によって琵琶湖と区切られてしまいました。現在は発掘調査によって確認された3つの突堤のうち、矢橋道から続く中央の一基が復元され周辺は埋め立てられて公園となっています。
 突堤の北側には弘化三年(1846年)の銘がある常夜燈が残されています。この常夜燈は、広重の「矢橋帰帆」に見える常夜燈です。
 矢橋港は矢橋道の終点に位置します。矢橋道は東海道の脇往還で草津宿の南、今の矢倉町あたりから琵琶湖方面へ向かう約3㎞の道のりです。

矢橋港の第二突堤(復元)

矢橋港の第二突堤(復元)

おすすめPoint

 鞭崎神社の北側の鳥居の向かいに、梅川終焉の地(十王堂跡)があります。梅川は大坂の遊女で、客の為替金を横領した忠兵衛に身請けされましたが、罪人として共にとらえられました。忠兵衛は処刑されましたが梅川は釈放され、近江のこの地で余生を送ったと言われています。
 終焉の地は、個人商店の敷地内にあり少し分かりづらいですが、今なら梅の古木が美しい花を咲かせているので見つけやすいと思います。

周辺のおすすめ情報

■鞭崎(むちざき)神社

鞭崎神社表門

鞭崎神社表門

 矢橋港の少し手前には、白鳳四年(676年)天武天皇の命により創建されたと伝えられる鞭崎神社があります。
 この神社の名前は、源頼朝が建久元年(1190年)にこの地を通りかかり、この神社を鞭で指して名前を聞いたところからつけられたと言われています。神社の表門は、明治四年に膳所城の大手門が移築されたと言われ、国の重要文化財に指定されています。門の屋根の瓦を見ると、膳所城藩主であった本多氏の立葵紋が軒先に伺えます。

表門の立葵文

表門の立葵文

■治田(はるた)神社と南笠古墳群

南笠2号墳

南笠2号墳

 鞭崎神社の南東方向には水田と宅地が広がっていますが、水田の中程にこんもりとした森が見えます。これが治田神社です。この神社は、雄略天皇六年にこの地の開拓者である治田連彦人が開化天皇と彦座命の神霊を勧請して創建されたと言われています。治田連は古代の栗太郡北西部に勢力を張った豪族です。
 治田神社の北側にも小さな森があります。この森は南笠古墳群で、草津市内で唯一の前方後円墳と言われています。全長30mほどの古墳が2基同じ方向を向いて並んでいます。南笠古墳群は「近江栗太郡志」に存在が記され、当時は22基が確認されていたようですが、現在はこの2基の他には半壊状態の円墳が1基確認できるだけです。
 この古墳は、墳丘の周囲が田畑で覆われているため、前方後円形のいわゆる「カギ穴形」がよく分かる古墳です。古墳の上にも登れますので、その形を確認してみてはいかがでしょう。

アクセス

【公共交通機関】JR琵琶湖線南草津駅下車、近江バスイオンモール線(草津総合病院経由)「矢橋」下車、徒歩約10分
【自家用車】名神高速道路草津田上ICから10分、駐車場なし


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(三宅 弘)

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