新近江名所圖会 第59回 神の宿りし岩-多景島 題目岩

彦根市八坂町
多景島遠景

多景島遠景

 多景島は、彦根市八坂町の沖合約5㎞の湖上に浮かぶ岩島です。
 この多景島の名前の由来は、元々岩しかない島であったが、対岸の荒神山の土を運び、草木を植えたところ、竹が見事に根付いたから、「竹島」と呼ぶようになったとか、或いは、島の形が見る方向により様々に変化することから、景の多い島で「多景島」と呼ばれるようになった。等様々な説があります。
 現在、多景島には日蓮宗の見塔寺(けんとうじ)というお寺が建っています。多景島が彦根城の鬼門に位置することから、見塔寺は彦根藩の崇敬を集めていました。このことを物語るように、本堂の屋根には彦根藩の家紋をあしらった金箔瓦が乗っています。
 絶海の孤島とも言うべき多景島ですが、不思議なことに、島の回りには、奈良時代から江戸時代にかけての大量の遺物が沈んでいることがわかっています。かつて、当協会が潜水調査をしたところ、平城京や平安京で出土するような「都振り」な土器類がたくさん見つかりました。また、銅鏡や灯明皿も見つかっていることから、多景島では、国家的な祭祀が行われていた可能性も考えられています。何に対する祭祀でしょうか?おそらく、琵琶湖そのものまたは琵琶湖の航路に対する祭祀が行われていたと考えられます。

おすすめPoint

◇題目岩

題目岩

題目岩

 さて、多景島に近づくと、ひときわ目立つ巨岩が屹立しているのが目に入ります。さらによく見ると岩には「南無妙法蓮華経」と陰刻され、文字には金彩が施してあります。これが「題目岩」と呼ばれる岩です。
 文字は、見塔寺を開いた日請上人(にっせいしょうにん)が岩の上から吊り下がりながら彫ったもので、一文字は米1俵が入る大きさ、彫り上げるのに三年の歳月を費やしたと伝えられています。また、桜田門外の変で、井伊直弼が倒れた際には文字から血が滲み出たといいます。彦根藩との強い繋がりを感じさせる話です。
 日請上人は、何故この巨巌に題目を彫り込んだのでしょう?
 それは、多景島の周辺の湖底から出土する古代の遺物が示すように、元々、多景島は琵琶湖の神が棲まう島だったのでしょう。そして島の中でも、ひときわ雄々しく屹立する巨岩は、島の神の宿る最も神聖な磐座だったと考えたのではないでしょうか。
 いわゆるアニミズム的な信仰の対象だったのでしょう。多景島に渡海した日請上人は、この島に神の気配を感じ、そしてその神と、己が信じる神、すなわち法華経を重ね合わせ、それを視覚的に表現するため神の磐座に「南無妙法蓮華経」と刻み込んだのでしょう。

◇神の磐座

神の磐座

神の磐座

 もう一つ、象徴的な磐座があります。それは、本堂の前にひっそりと鎮座する磐座で、「御神体の岩」と紹介されています。その形は少々エロチックです。題目岩が男性象徴とすれば、この磐座は女性象徴でしょうか。多景島は、仏の島のように見えますが、実は、日本人が心の奥底に持っている、自然崇拝が色濃く遺っている島でもあるのです。
 ちなみに、情念の考古学者を標榜する私は、今のパワースポットのブームに乗り「多景島に渡り、男女二つの磐座に詣でれば、恋の祈願が成就するという有難いパワースポットである」と売り出したいと思う今日この頃・・・。

周辺のおすすめ情報

 多景島へは当然船で渡ります。彦根港から1日1便の定期船が出ています。(ただし、季節や天候の状況では欠航する場合がありますので、事前に確認してください)
 滋賀県に生まれ育った方でも、多景島に渡海された方は少ないのではないでしょうか?「行ってきた」と言うことだけで自慢できそうな島、それが多景島です。

◇誓いの御柱

誓いの御柱

誓いの御柱

 多景島に近づくと一番先に目に入ってくるのが、五角錘の巨大な石の柱です。よく見ると柱の各面には文字が陽刻されています。その文字の内容は、明治天皇が維新政府の基本方針として天地神明に誓った「五箇条の御誓文」です。この柱は大正時代に建てられたもので、何故、多景島に建てられたのかはよくわかりません。日本の中心が近江であり、その中心が琵琶湖で、その中程に浮かぶ島が神聖なところとして選ばれたという説もあります。
 題目岩といい、誓いの御柱といい、文字に対する神性(言霊)を表する造形?であり、森羅万象万物に神が宿ると信じる日本人の感性が良く表れています。

アクセス

【公共交通機関】彦根港からオーミマリンにて約20分、一日1便、要確認


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(大沼 芳幸)

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