新近江名所圖会 第65回 湖北の王の棺-尾上の石棺-

長浜市湖北町尾上

 古墳時代の石棺と言えば、大阪府と奈良県境にある二上山の白石や兵庫県の竜山石など、凝灰岩製の石棺が有名です。
 一般的に花崗岩は凝灰岩と比べて硬質で、例外的な事例を除いて古墳時代の棺として利用されないことが知られています。しかし、近江を代表する石棺と言えば、花崗岩製で、不確実なものを含めて18例の石棺が知られています。
 その分布を見れば、大津市北郊地域、栗東地域、野洲-湖東南部地域に集中し、特に栗東金勝地域に集中することから、この付近を生産地とする考えもあります。こうした分布の中で、唯一湖北地域に所在するのが「尾上の石棺」です。

おすすめPoint

尾上の石棺

尾上の石棺

 その石棺は長浜市湖北町尾上の相頓寺(そうとんじ)に存在しています。
 境内の鐘楼の脇に置かれた平たい石材には、よく観察すれば、幅約10㎝程度の浅い溝が「H」字状に彫り窪められています。石材は花崗岩。組み合せ式石棺の底石であることがわかります。通称「尾上の石棺」と呼ばれています。
 近隣の今西集落付近から出土し、相頓寺に納められたと言われていますが、どの古墳から出土したのか、伴に出土した遺物はあるのかなど詳しいことは知られていません。復元すると長さ2.2m以上、幅1.2mの堂々たる石棺が想定され、同様の石材、加工状況、規模とされるものとしては、野洲市にある史跡大岩山古墳群の一つ、宮山2号墳の石棺があります。「尾上の石棺」も宮山2号墳と同じ頃の6世紀末頃の製作と考えられ、おそらくは組み合せ式の家型石棺であったと考えられます。

尾上の石棺

尾上の石棺

 

 尾上集落は漁港として知られていますが、古代には余呉川や高時川を遡り北陸へと通じる湖上交通路の拠点でした。県史跡の若宮山古墳や津里廃寺、浅井寺跡などの古代寺院が存在しており、この地域の重要性がわかります。また、尾上漁港の眼前には葛籠尾崎湖底遺跡も存在し、これも湖上交通と関連すると考える説もあります。
 「尾上の石棺」は、こうした交通の要衝である尾上地域を支配した有力な「王」が、琵琶湖の水運を使い、湖南地域から運んできたものと想定できます。「湖南の王」と連携し、共通する石材で製作した石棺を自らの墓に採用する。「尾上の石棺」は、琵琶湖の湖上交通の発達と、これを掌握した「王」たちの姿を具体的に示してくれます。近江の考古学上、必見の資料の一つでしょう。

周辺のおすすめ情報

 尾上の集落内には、平成21年にリニューアルされた葛籠尾崎湖底遺跡資料館(電話 0749-79-0407)があります。尾上の公民館内にあります。
 資料館には、尾上の対岸にあたる葛籠尾崎との間の琵琶湖湖底から引き上げられた縄文時代から古墳時代の遺物を中心に展示されています。また、模型を使って、土器が引き揚げられた湖底の地形をわかりやすく解説し、どうして湖底遺跡が存在するのか、様々な説を紹介しています。
 湖底から引き揚げられた土器は完全な形に近い土器が多く、様々な説があるものの、今なおどうして琵琶湖の湖底にこのような土器群が存在するのか解明されていません。琵琶湖湖底遺跡の謎の解明に挑戦してみてはいかがですか。

アクセス

【公共交通機関】JR北陸線河毛駅下車、湖北タウンバス「尾上」下車
【自家用車】北陸自動車道長浜IC下車、湖周道路利用25分
木之本IC下車、湖周道路利用20分


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(細川 修平)

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