新近江名所圖会 第77回 地域に残る近代の足跡-「皇紀二千六百年」記念燈籠

東近江市上平木
日吉神社参道 鳥居形燈籠

日吉神社参道 鳥居形燈籠

 タイトルに挙げた「皇紀二千六百年」、60代以上の方はすぐに意味の分かるかもしれませんが、若い人はピンと来ないかもしれません。
 昭和15(1940)年が神武天皇の即位から2600年に当たるとされたことから、日本政府は昭和10(1935)年に「紀元二千六百年祝典準備委員会」を発足させ、橿原神宮や陵墓の整備などの記念(当時の表記では「紀念」と書きます)行事を計画・推進していきました。
 いっぽう地域レベルでは、滋賀県下でも皇紀二千六百年を記念した様々なモニュメントが市井の人々によって作られています。
 今回紹介するのは、東近江市上平木町に所在する日吉神社の参道に残る燈籠です。写真の燈籠は一般的な明神鳥居を模したものですが、通常の燈籠に見慣れた私達には特異な形状です。高さ2.3m、笠置部分の最大幅1.6mを測る鳥居形燈籠は参道に林立した燈籠の中でも異彩を放っています。

日吉神社参道

日吉神社参道

 この燈籠には柱に銘文が残されており、片方の柱には日露戦争に出征し帰還(凱旋)した父の名前が、もう片方には日中戦争に出征して、これも無事帰還した息子の名前が刻まれています。息子が所属したであろう歩兵第9連隊は昭和12(1937)年の日中戦争勃発に伴い出征し、昭和14(1939)年に帰還しています。そのことから、おそらく息子が帰還して程なく皇紀二千六百年紀念行事が国内で盛んに行われ始め、この家族も何か記念になるもの、あるいは親子揃って戦地から帰還できたことを日吉神社の加護の結果と感謝して奉納したのかもしれません。
 このように神社の参道・境内に置かれている石造物の銘文を観察すると、皇紀二千六百年という奉祝期間に併せて建立されているものが意外と多いことに気づきます。一方で、それ以降になると戦後になるまで建立されることはなくなるようで、これは戦局の拡大に伴う経済状況の悪化で、神社への寄進(モニュメントの建立)が控えられたことを窺わせます。

おすすめPoint

 さて、この鳥居形の燈籠にはもう一つの物語があります。
 上平木町の集落の中に日吉神社の御旅所があり(もとは日吉神社に合祀された若宮神社の社地)、そこには昭和28(1953)年に地元によって建立された忠魂碑(碑には「殉国薫千歳」と刻まれていますが性格的には戦前の忠魂碑と同類です)があります。背面には町内の戦没者の氏名が列記されていますが、 その中に先述の鳥居形燈籠に刻まれていた息子の名前が・・・。中国の戦線から無事帰還したのにも関わらず戦局の悪化で再度応召され、残念ながら戦死されたことがわかります。
 戦争という行為は、極めて非日常的な事象です。誰しも平和な社会で生活することを望んでいますが、私達の身近にも戦争を感じさせる資料が存在しており、間接的にではありますが戦争の悲惨さを伝えていることを知っていただければと思います。

周辺のおすすめ情報

征清凱旋記念碑 東近江市永源寺町山上

征清凱旋記念碑 東近江市永源寺町山上

 距離的に少し離れますが、戦争関連の石造物として東近江市永源寺山上町の歳苗神社の参道脇には日清戦争からの帰還を記念した石碑(「征清役凱旋紀念碑」)があります。明治31(1898)年の建立で県内の戦争関連石造物としては古い時期に建立されています。

アクセス

【公共交通機関】
(バス)JR琵琶湖線近江八幡駅下車、南口より近江バス北畑口行きまたは長峰集会所行き乗車、平木下車、徒歩10分
(電車)JR琵琶湖線近江八幡駅下車、近江鉄道八日市線で平田駅下車、徒歩約25分
【自家用車】
名神高速道路竜王IC下車約20分、駐車場なし


より大きな地図で 新近江名所図会 第51~100回 を表示

(松室 孝樹)

カテゴリー: 新近江名所図会   タグ:   この投稿のパーマリンク

コメントは受け付けていません。