新近江名所圖会 第8回 堅田の町並みと浮御堂

大津市本堅田1丁目

中世の堅田

堅田十六夜碑から浮御堂

堅田十六夜碑から浮御堂

 堅田は、湖族の郷(さと)と呼ばれています。堅田の住人は元々琵琶湖での漁を生業(なりわい)としていたと考えられますが、平安時代には下鴨社や延 暦寺の権力を背景にして琵琶湖全域を自由に通行出来るという特権を得ました。
 中世の琵琶湖は荷物を運ぶ船が頻繁に往来しており、その船から積み荷を奪う賊が出没していました。堅田の人々はそうした賊から荷物を運ぶ船を守ることと引き換えに、警護料とも言うべきものを得ていました。これを上乗(うわのり)と言います。
 また、堅田の地は琵琶湖の最も狭い部分に位置していることから、この地に湖上関を設け、琵琶湖を通る船に対して通行料を取っていました。この権利を 関務(せきむ)と言います。

堅田散歩

伊豆神社

伊豆神社

 JR堅田駅から琵琶湖に向かってまっすぐに歩き、わずかに残された内湖の上に架かる橋を渡り堅田漁港を目指します。漁港の少し手前にある福聚禅院(ふくじゅ ぜんいん)から南の方向へ通じている道の周辺が、堅田衆が住んでいた街です。この道を南に歩くと、国指定名勝の「天然図画亭(てんねんずえてい)」と呼ば れている庭園を持つ居初(いそめ)氏の住宅があります。さらに南へ進むと堅田の総鎮守であり、「堅田大宮」とも称された伊豆神社があります。この付近まで がいわゆる中世堅田の中心部分で、堅田三(四)方のうち、最初に発展した「宮の切(みやのきり)」と言われる街割の一つにあたります。堅田三(四)方とは、形 成された順に「北の切(宮の切)」、「東の切」、「西の切」それに「今堅田」を加えた4つの地域を指します。
 伊豆神社から南へ進めば浮御堂がある満月寺が見えてきます。この付近が「東の切」にあたります。満月寺は、恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が長徳 年間(995~999年)に湖上の安全と人々の救済を願ってこの地に開かれました。

蓮如上人旧跡

蓮如上人旧跡

 満月寺から伊豆神社を挟んだ北西隣に接して、若き日の一休宗純が修行したと言われる祥瑞寺(しょうずいじ)があり、門前には「一休和尚修養地」と刻まれた 石碑があります。祥瑞寺の西には堅田における浄土真宗の拠点とも言うべき本福寺があり、門前には「本願寺舊址(ほんがんじきゅうし)」、門の内側には「蓮 如上人御舊跡」と刻まれた石碑が建てられています。
 福聚禅院から満月寺までの道は、内湖を形作った砂州上に伸びる道で、道の左右に広がった家々は昔の名残をとどめています。散策にはもってこいの 場所だと思います。

おすすめPoint

 ありきたりですが、浮御堂(満月寺)見学をおすすめします。歌川広重の「近江八景‐堅田落雁(かたたのらくがん)」にあるように、対岸や船上から版画と同 様の景色を眺めるのも一興ですが、浮御堂の周辺には湖岸に出られるところが方々にあります。湖岸の散歩道からなら、琵琶湖に突き出た浮御堂の姿が見られます。 できれば浮御堂の南から、琵琶湖大橋を望んで新旧の観光名所を楽しんでみてはいかがでしょうか。

周辺のおすすめ情報

 福聚禅院から北の方向に進むと、今堅田の町並みが広がります。今堅田は堅田三(四)方のうち、最後に形成された町です。湖岸には、明治8年(1875年)に建てられ、 非常に珍しい木造灯台である出島灯台(でけじまとうだい:高さ約8m)や丸子船など琵琶湖を航行する船を今も造り続けている杢兵衛造船所(もくべいぞうせんじょ) などが見られます。道をそのまま北進し、琵琶湖大橋をくぐった先には「道の駅 琵琶湖大橋米プラザ」が見えてきます。ここでは湖魚を扱った料理や滋賀県産の農 畜産物などが販売され、休日などは人で賑わっています。

アクセス

【公共交通機関】JR湖西線堅田駅から江若バス堅田町循環「堅田出町」下車すぐ
【車】 湖西道路真野ICから10分、国道161号仰木口湖岸側へ曲がる。駐車場は「湖族の郷資料館」を利用すると便利


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(三宅 弘)

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