新近江名所圖会 第90回 今なお謎多きびわ湖の貝塚-蛍谷貝塚その2

大津市蛍谷

蛍谷貝塚の様子(昭和42年・1967年)

蛍谷貝塚の様子(昭和42年・1967年)

 今回は第89回(前回)ご紹介した蛍谷貝塚の続編です。もう少し詳しく、この貝塚をみてみましょう。
 蛍谷貝塚は、伽藍山南側の谷口に位置する石山貝塚とともに、戦前からその所在は知られていました。『京都大学文学部博物館考古学資料目録』には、西田弘氏が蛍谷貝塚で採取した縄文土器片などを、1959年に京都大学文学部へ寄贈したことが記されています。現在、これらの土器片は、氏が藤岡謙二郎氏に宛てた手紙とともに、京都大学総合博物館に保管されています。
 その土器の大半は、実は縄文時代中期の資料です。しかし貝塚そのものは、その後、昭和42年に県道拡幅・歩道敷設工事に伴って実施された発掘調査の結果、縄文時代早期末~前期初頭頃に形成された貝塚であることが確認されています。その結果をもとに、地下に貝塚は保存され、歩道が高くなっていことのは前回、話したとおりです。この調査の記録から、土坑状の落ち込み内に貝層が堆積したような小貝塚が数カ所に分布していたようです。また、貝層に含まれる堆積土壌から、貝塚が形成された当時はその場所が陸域だったことが指摘されています。
蛍谷貝塚の様子(昭和42年)その2

蛍谷貝塚の様子(昭和42年)その2

 昭和42年調査で出土した土器や、先述の西田弘氏採集資料の様相から、蛍谷遺跡そのものは縄文時代早期中頃から中期末頃にわたって形成されていること、そしてその中で、貝塚は早期末から前期初頭頃を中心に形成されたことがわかります。石山貝塚で多数見つかった骨角器は、この貝塚では明確なものは見つかっていませんが、加工痕の残る鹿角の破片が見つかっていますので、骨角器作りがこの地で行われていたのかも知れません。
 また、土器破片を利用した錘(おもり:土器片錘(どきへんすい)と呼んでいます)は、縄文時代早期末~前期初頭と、中期末の土器片を素材としているものが見られることから、少なくとも貝塚形成期とそれ以外の時期の2時期に、土器片錘を使った作業がされたのでしょう。また、貝塚から採取された貝類の分析から、殻長の比較的大きなセタシジミ(24~28㎜程度)が大半を占めること、貝類以外では、コイ・ナマズなどの魚類やスッポンなどの骨が見られることが分かっています。これらの様相から、蛍谷貝塚をのこした人々は、石山貝塚や粟津湖底遺跡と同様に、びわ湖での漁撈活動を営んでいたことはまず間違いないでしょう。
 さて、興味深いのは、先述したように貝層下に「土坑状の落ち込み」があった点です。蛍谷貝塚だけでなく、石山貝塚や粟津湖底遺跡を含めても、この周辺では、実は「住居」と呼べるような当時の遺構は見つかっていません。関東地方では、例えば縄文時代前期中葉の埼玉県水子貝塚のように、竪穴住居の廃絶後に貝層が堆積している例がしばしば見られます。つまり、使わなくなった住居(竪穴状の落ち込み)に貝殻を廃棄するのです。このことから、石山貝塚や蛍谷貝塚の下層には、そういった遺構が埋もれており、蛍谷貝塚の貝層下の「落ち込み」は、その一部の可能性があります。今後の調査に期待したいところです。

おすすめPoint

蛍谷貝塚遠景 大津放水路着工前(昭和42年)

蛍谷貝塚遠景 大津放水路着工前(昭和42年)

 蛍谷貝塚は、前回もお話したとおり、京阪石山坂本線の石山寺駅から、石山寺へ向かう途中、放水路に架けられた橋を渡った右手、少し高く盛り上がった歩道の下に今もその一部が残されています。その右手の茂みの中には、「蛍谷貝塚」と記された白い標柱がひっそりと立てられています。

◇滋賀県立安土城考古博物館

 滋賀県立安土城考古博物館では、石山貝塚の最初の発掘調査からちょうど70年になることを記念して、この蛍谷貝塚や、石山貝塚、粟津湖底遺跡などの「びわ湖の貝塚」を中心に、近江の縄文時代を紹介する展覧会を、平成24年2月11日~同年4月1日の期間で開催しています。
 1万数千年続いた縄文時代を、「時の流れ」をキーワードとして、1年を1㎜に換算した物差しを片手に、びわ湖と向き合って暮らした縄文人たちとの暮らしとその変化の様子をご覧になることができます。
 関連行事として、今回ご紹介した蛍谷貝塚と、石山貝塚、粟津湖底遺跡を、瀬田川から船で見学する現地探訪「【びわ湖の貝塚】を訪ねて」を、3月に開催を予定しています。(事前申し込みが必要で定員もあります)  詳細は滋賀県立安土城考古博物館(電話0748-46-2424)へお問い合わせ下さい。
 展覧会に現地探訪に、是非この機会に、びわ湖に暮らした縄文時代の人々の息吹を感じていただければ幸いです。

アクセス

◇蛍谷貝塚

【公共交通機関】京阪石山坂本線「石山寺駅」下車、徒歩5分
【自家用車】名神高速道路瀬田西・東IC下車10分、国道1号松原国道口交差点から瀬田川沿いに下って10分、駐車場なし

◇滋賀県立安土城考古博物館

【公共交通機関】JR琵琶湖線安土駅より徒歩25分、駅前レンタサイクル利用10分
【自家用車】名神高速道路竜王IC下車30分、駐車場あり


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(鈴木 康二)

参考資料
・『【人】【自然】【祈り】共生の原点を探る―縄文人が語るもの―』滋賀県立安土城考古博物館、2012
・「蛍谷遺跡」『出土文化財管理業務報告書』滋賀県教育委員会・公益財団法人滋賀県文化財保護協会2002

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