新近江名所圖会 第99回 山城のちょっと違った楽しみ方-横山城跡-

長浜市堀部町ほか

 長浜市と米原市旧山東町の間には、南北に横山丘陵が連なっていて、横山城跡はその最高峰を中心に、尾根上に曲輪(くるわ)が広く展開しています。横山城の築城時期はよくわかっていませんが、当初は京極氏の支城として築かれ、永正14年(1517)に浅井亮政により落城、翌年には浅井氏を攻撃するために六角定頼が修築したとされています。その後、小谷城(長浜市湖北町伊部、第88回参照)を本拠地とした浅井長政が永禄4年(1561)に改築しますが、現在の長浜市野村町付近を中心に行われた姉川合戦(元亀元年(1570))で織田信長に攻め落とされ、その後は木下藤吉郎(後:羽柴秀吉、豊臣秀吉)が在城することとなりました。小谷城落城後は、天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦に際して羽柴秀吉によって改修されますが、それ以後は廃城となりました。

写真1 山を削り込んで作られた道

写真1 山を削り込んで作られた道

 さて、横山城跡へ登るには、いくつかのルートがありますが、ここでは西側の長浜市石田町坂下付近から登り、東側の米原市観音寺境内に降りる、というルートを紹介します。坂下集落の東側には観音坂トンネルへと通じる県道509号線が通っていて、その県道の山側にちょっとした駐車場(石田山公園駐車場)があります(現在は工事中です)。ここから登山道へ入っていきます。しばらくは山を削り込んで作られた道が続き、横山丘陵を越える峠へと至ります(写真1)。この峠付近から分かれて、今度は尾根上を通る道が横山城跡へと続いています。まず辿り着くのが「南城」と呼ばれる曲輪です(写真2)。

写真2 「南城」と呼ばれる曲輪

写真2 「南城」と呼ばれる曲輪

 横山城は「北城」「南城」と呼ばれる2つの曲輪を中心に、大小様々な曲輪のほか、土塁や竪堀などが広範囲に展開しています。いろいろな本などでも紹介されていますので、ここでは城の構造についての詳しい説明は省きますが、現在でもこれらの曲輪や土塁を確認することができます。ここからさらに北西方向に進んでいきますと、北城へと至りますが、ここが最高峰(約312m)であり、主郭と考えられます。ここからの見晴らしはとてもよく、東には北国脇往還、西には北国街道を見下ろすことができます。交通の要衝を押さえる絶好の場所であることを体感できます(写真3)。

写真3 東に北国脇往還、西に北国街道

写真3 東に北国脇往還、西に北国街道

 ここからは、横山丘陵東側の観音寺へつながる山道を、案内板にしたがって南東方向へ下っていきます。登りよりは若干傾斜が急ですので、足元に注意する必要があります。途中には八十八ヶ所の石仏がところどころに立てられていて、それらを見て歩くのも楽しいでしょう。最後は観音寺の本堂付近に降りることができ、ここからは境内の中心を通る道を下って、山門から外へ出ることができます。行程は1時間半から2時間くらいで、ちょっとしたハイキングにはよいでしょう。横山城に限らず、山歩きは秋から春先くらいが最適です。山歩きに適した服装も必要でしょう。

おすすめPoint

写真4 峠越えの道

写真4 峠越えの道

 今回最初に登った峠越えの道は、かつて「朽木街道」と呼ばれ、長浜市と旧山東町を結ぶ重要な生活道路でしたが、観音坂トンネルが開通してからは登山道として使われる程度になったようです。この道の構造は、丘陵の地形とは関係なく、断面逆台形状に山を削って作り出されていて(写真4)、峠から横山城跡へ向かう山道が尾根沿いに通っているのとは対照的です。いつ頃作られた道かははっきりとはわかっていませんが、一昔前の峠越えの道を見ることができます。

写真5 三角点を示す花崗岩製の標石

写真5 三角点を示す花崗岩製の標石

 また、北城では、三角点を示す花崗岩製の標石を見つけました(写真5)。全国に1,000箇所弱しかない一等三角点かと思いきや、残念ながら同じく32,000箇所以上もある三等三角点の「堀部」のようです。峠道とともに、地図マニアの方にはそんな楽しみ方もあります。
 一方、南城では、大きなドングリがたくさん落ちているのを見つけました。秋に登ると、横山丘陵にはたくさんのドングリがいたるところに落ちていますが、南城で見つけたような大きなドングリは、ほかの場所ではあまり見られませんでした。これは「コナラ」という種類のドングリで、比較的実が大きいことから、リスなどの小動物や虫に食われた痕が多く見られました。ドングリを主要な食料にしていた縄文人が、リスや虫と競合していた様を想像してしまいました。

周辺のオススメ情報

観音坂トンネル(隧道)

観音坂トンネル(隧道)

 横山丘陵を貫く観音坂トンネル(隧道)は、昭和8年(1933)に竣工しました。長浜市側にその記念碑も建てられています。滋賀県の土木技師であった村田鶴の設計によるもので、その独創的なデザインは高く評価されています。旧山東町側のポータルには、「造化無権」と刻まれた偏額も掲げられています(写真6)。滋賀県が誇る近代化遺産の一つですが、いまだに現役で使われているのです。交通量が多いので、見学の際には十分気を付けてください。
 また、紹介した登山ルートの出発点である長浜市石田町は、石田三成の出生地です。さらに、到着点である米原市の観音寺は、その三成が秀吉と出会ったとされるところです。これらについてはすでに第51回で紹介していますが、秀吉ゆかりの横山城と合わせて、訪れてみてはいかがでしょうか。

アクセス

【自家用車】駐車場あり
【公共交通】JR長浜駅からバス 坂下バス停下車 徒歩5分


より大きな地図で 新近江名所図会 第51~100回 を表示

(小島孝修)

カテゴリー: 新近江名所図会   タグ:   この投稿のパーマリンク

コメントは受け付けていません。