調査員のおすすめの逸品 No.111 昔の琵琶湖の水はきれい? ―塩津港遺跡の埋め立てゴミ―

12世紀の塩津港は現地表から4mほど下から顔を出した。桟橋状の遺構が塩津湾の出口に向かって真っすぐに突き出している。

12世紀の塩津港は現地表から4mほど下から顔を出した。桟橋状の遺構が塩津湾の出口に向かって真っすぐに突き出している。

 昔の琵琶湖の水は今よりもずっときれいだったと、みんなが思うことでしょう。
 昨年(平成24年)、琵琶湖の一番北の塩津浜で行った発掘調査を担当しました。かつては塩津港として大いに栄えていた港町です。今は船運も無く、静かな町となり琵琶湖の水も澄んでいます。
 この発掘調査で、12世紀の港の様子がわかりました。ちょうど平清盛が活躍していたころで、港は大いににぎわっていました。港の岸壁を作る埋め立て工事が絶え間なく行われていて、13m×18mの狭い場所での調査にもかかわらず、たった60年ほどの間に7回以上も造成工事が行われていました。地面は1.5mかさ上げされ、20m以上琵琶湖に突き出ていました。船が接岸する護岸や桟橋も造られていました。また、埋め立てでできた新しい土地には建物が建てられ、燈明用の油を入れていたと考えられる大きな甕も取り付けられていました。常夜灯が焚かれ、昼夜を問わず船が出入りし、港は常に喧騒とした状況だったことが想像されます。
この写真に写っている黒い粒々の正体は・・本文で・・

この写真に写っている黒い粒々の正体は・・本文で・・

 埋め立て造成は、まず琵琶湖の中に杭や石などで縁取りを造り、中にゴミを捨てていきます。大阪湾などで行われている埋め立て工事と基本的には一緒です。ゴミで満杯になったら上を綺麗な土で覆ってでき上がり、ということです。
 出土した当時のゴミは、今となっては貴重な考古資料です。港町らしい俵や荷札など、他ではなかなか見られないものもあります。港で荷役に従事する人たちのために食事を提供する場所もあったのでしょう、箸が数千本も出土しています。出土した遺物の量を時間と面積で割り、その数値を町の繁栄値とすると、当時の京都の中心街を超える繁栄を示します。山と琵琶湖に挟まれた平坦地の少ない港町が、局所的に高い数値をたたき出したのです。
 その繁栄の様子を示すものの一つが2枚目の写真です。黒い粒々・・あまり説明をしたくないのですが・・これはハエの蛹です。食物ゴミにウジが湧きまくっていたということです。接する琵琶湖の水もさもありなん、当時の状況がうかがい知れます。
琵琶湖の脇に掘られた井戸。この井戸水はきっときれいなはず。

琵琶湖の脇に掘られた井戸。この井戸水はきっときれいなはず。

 調査では井戸も見つかっています。琵琶湖から10mも離れていない場所に掘られた井戸で「どうして井戸が必要なのですか?」とよく聞かれましたが、答えは簡単「きれいな水が欲しかったから。」というわけです。

(横田洋三)

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