調査員のおすすめの逸品 No.122 戦国時代の「磨石」―彦根市佐和山城跡出土―

戦国時代の「磨石」

戦国時代の「磨石」

 磨石(すりいし)といいますと、私たちは通常、縄文時代の石器を思い浮かべます。手に持てる程度の大きさ・重さの扁平な楕円体をしていることが多く、下に置く板状の石皿とセットで、ドングリやトチノミなどの木の実をすり潰して粉状にする道具と考えられています。木の実を主食とする縄文時代にあって、主要な生業の道具の1つといえます。使い込まれて表面がスベスベしていて、かつ形が整っていて欠けているところがないものは、一種の芸術品のようにも感じられます。今回紹介しますのは、しいて言うならばそのような「磨石」としか表現できない、戦国時代の石製品です。

 佐和山城跡は、彦根市東北部にある佐和山丘陵の頂部に築かれた中世の山城であり、関ヶ原合戦で敗れた西軍の大将・石田三成の居城としてよく知られています。私は、平成21・22年度にその東麓で実施した発掘調査を担当しました。丘陵に刻まれた谷部は家臣団の屋敷地と考えられ、そこで見つかった堀の中から、この「磨石」が見つかりました。一緒に見つかった土器の年代観から、この堀は、三成在城時代を含む16世紀第4四半期~17世紀初頭に機能していたと考えられます。

「磨石」が出土した堀

「磨石」が出土した堀

 「磨石」が見つかった場所からは、そのほかにもたくさんの石が見つかったのですが、そのほとんどは佐和山丘陵を構成するチャートの角ばった石で、近辺でよく見られるものです。ですから、川原石のように角の無い丸い石は目につき、明らかにほかの場所から持ち込まれたものとわかります。今回紹介する「磨石」以外にも、いくつか川原石が見つかっていますが、大人の拳よりも一回り・二回り小さいものばかりです。おそらく、投石用の飛礫(つぶて)ではないか、と思われます。

 さて、前置きが長くなりました。この戦国時代の「磨石」、サイズは直径9.0cm・厚さ6.0cmの扁平な球体で、均整のとれた形をしています。現状での重さは約730gですが、少し欠けていますので、もともとはもう少し重かったと思われます。使っている石材は砂岩です。
 その最大の特徴は、とてもスベスベした表面です。周縁部、つまり最大径の部分は少し粗いのですが、それ以外の部分は光沢をもつほどに磨きこまれています。縄文時代の磨石は、道具として使い込まれた結果、研磨されて表面がスベスベになります。しかし、この「磨石」はそうではなく、敲打により形を整えた後、ひたすら砥石などで磨き続けてこのようにスベスベになっているのです。すなわち、研磨はこの「磨石」を作るための作業と考えられます。縄文時代の磨石は「磨った石」ですが、この「磨石」は「磨られた石」なのです。

上からみた「磨石」

上からみた「磨石」

 さらに、その用途も全くわかりません。少し欠けてはいますが、使った痕跡といえるようなすり傷などは見られません。近くに縄文時代の遺跡である六反田遺跡があることから、縄文時代の磨石である可能性も考えられなくはないのですが(実際に磨石がこの調査でも出土しています)、手に持って使うには少し大きく重いようです。飛礫として使うにも、その重さ・大きさが邪魔をして、十分にその役目を果たせそうにないですし、何より投げ捨ててしまうには、手を加えすぎています。
 何はともあれ、この「磨石」のスベスベした手触りと均整のとれた形は、やはり一種の芸術品に思えます。いっそ、実用品ではなく、観賞用と考えてもいいのかもしれません。

(小島孝修)

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