調査員のおすすめの逸品 No.133 謎の逸品-双環柄頭短剣鋳型-

上御殿遺跡 鋳型(上下)

鋳型(上下)

 すでに逸品のコーナーで2度取り上げられた上御殿遺跡は、県内でも有数の「謎の遺物」が出土する遺跡です。とりわけ、No.126で取り上げた謎の墨書土器が出土した昔の川跡はこうした謎の遺物が満載です。なぜ、謎なのか。出土する遺物の形と同じものが現在に伝わっていないので、私たちには理解できないというのが実情でしょう。遺物そのものだけではなく、上御殿遺跡の川跡から出土する古墳時代から平安時代にかけての遺物の出土状況は特異な点があります。
 それは何か。数十年から数百年経過した時代や時期の全く違う遺物が、同じような場所で、同じような出土状況で出てくるのです。発掘していると単なる川跡にしか見えませんが、現在には伝わっていない何か目印になるようなものがあったのではないかと想像したくなります。こうした出土状況を示す遺物の中に、弥生時代から古墳時代前期頃と考えられる、日本ではじめて出土した双環柄頭短剣(そうかんつかがしらたんけん)の鋳型があります。
鋳型出土状況

鋳型出土状況

 鋳型は、昔の川跡の岸にあたる部分に、本来は上下2枚を重ねた状態で置かれていたと考えられます。鋳型に彫り込まれた短剣の形態は、柄頭に2個の輪があり、柄と剣身が一回で作られる一鋳式と呼ばれるもので、最も近い形状を探せば春秋戦国時代(BC770~221)の中国北方地域(中国河北省北部・北京北部・内蒙古中南部)のオルドス式銅剣にたどり着けます。しかし、両者は時間的にも地域的にも遠く離れていますし、柄に描かれた文様も銅鐸の文様と類似するなど日本のオリジナルの部分もあって、この短剣の鋳型がどのような経緯でこの高島の地で出土するにいたったのか、それを解明することは今後の課題です。
 こうした鋳型じたいの出自について考えることは、上御殿遺跡のみならず日本列島規模での検討課題ですので、ひとまず置いておき、遺跡での出土状況に立ち戻って見てみますと、あたかも川に向かって鋳型を置いたような状況でした。鋳型以外は何もなく、何らかの祭りに使われたと考えられます。すぐ近くからは、古墳時代中期から後期にかけての土器が古墳の周溝の中から出土しており、供献土器(お供えものをいれた土器)と考えられます。この鋳型はいつのものなのか、今後の研究によってより厳密な時代・時期が明らかになると考えられますが、鋳型より後の時代になっても同じように川にたいして土器などをお供えする祭りを行っていたことがわかります。おそらく鋳型は、上御殿遺跡で行われる川にたいする最初の祭りにともなうもので、この川が平安時代まで祭場として使われる契機となったものです。
 このように連綿と続く祭場と、そこで用いられた遺物も、平安時代以降に農地化が進んだために、現在には伝わらなかったといえます。
 この鋳型は、ある一時代の日本列島という大きな枠組みのなかで重要な遺物というだけではなく、高島地域の千年以上にわたる川をめぐる祭りの起源を知る手がかりとしての重要な意味も持っているのです。

(中村健二)

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