調査員のおすすめの逸品 No.40 浮線紋土器 -小津浜遺跡出土-

浮線紋土器(小津浜遺跡出土)

浮線紋土器(小津浜遺跡出土)

 土器は発掘調査で出土する遺物のなかでもっとも普遍的な遺物です。故佐原眞先生が先史土器と呼ばれた縄文土器と弥生土器には、機能的に不要と思えるような様々で複雑な紋様が施され、時期・地域ごとに個性的な特徴を示します。
 個性といっても、製作者ごとのそれではなく、時期的・地域的に現れる固有の紋様や形です。こうした個性にもとづいて時期区分や地域圏を識別する研究は、いまも基礎研究として重視されます。そして考古学・埋蔵文化財の業界には、精密な観察にもとづいて鋭い洞察を行い、余人が考えつかないような情報を土器から読み取ってしまう目利きがおり、それぞれが得意とする地域で活躍されています。
 今回取り上げるのは弥生時代前期から中期の遺跡である守山市小津浜遺跡から出土した浮線紋土器です。
 浮線紋土器は縄文時代晩期から弥生時代前期に中部地方で作られた土器で、亀ヶ岡式土器の影響を強く受けた華麗な紋様が施されます。近畿地方でも出土することがありますが、小津浜遺跡を調査していた20年以上前にはわずかな例しかなく、出土したときには、これがどういう土器なのか見当がつきませんでした。
 小津浜遺跡から出土した浮線紋土器は球形に近い鉢形土器で、口縁部に施された三角形の突起と眼鏡状浮紋と呼ばれる紋様が特徴的です。こうした立体的な意匠は西日本の縄文・弥生土器には少なく、表面を磨きあげた丁寧な仕上げとともに一見してほかとは異なる印象的な土器でした。
小津浜遺跡出土浮線紋土器(実測図)

小津浜遺跡出土浮線紋土器(実測図)

 それから7年後、赤野井湾遺跡の出土遺物を整理していた先輩から、見慣れない土器がでてきたと意見を求められました。ほとんど忘れていた記憶をたどって思い出したのが小津浜遺跡の土器。さっそく収蔵庫から取り出して比べてみると、大きさ、紋様、土器の質感、どれをとっても瓜二つ。割れ口が接合するところはなかったのですが、もとはひとつの土器だったに違いないと直感しました。
 その後、各地で活躍されている弥生土器の目利きの方々にみていただいたところ、中部地方西部に似た土器があるらしいことがわかってきました。この土器の供給地が絞り込めたのは広い見識をもった目利きたちのおかげです。そしてこれらが同一個体であることについても賛同していただきました。
赤野井湾遺跡出土浮線紋土器(実測図)

赤野井湾遺跡出土浮線紋土器(実測図)

 これらが同一個体だとすると、土器が割れて廃棄されたあとに約500mも離れてしまったことになります。両遺跡はかかわりが深い遺跡であったと推測できます。
 離れた遺跡から出土した土器が同一個体であると確認できる確率はかなり低いので、小津浜遺跡の場合はまったく幸運だったと思います。そして、弥生土器の目利きたちにはかなわないにしても、これを見抜けた自分の眼力を少しは誇らしく感じました。展示室では少し退屈な展示品ですが、追究していくと土器はなかなか面白い代物です。

(伊庭 功)

<参考文献>
・『赤野井湾遺跡』琵琶湖開発事業関連埋蔵文化財発掘調査報告書2 滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会 1998
・『小津浜遺跡』琵琶湖開発事業関連埋蔵文化財発掘調査報告書6 滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会 2002

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