調査員のおすすめの逸品 No.74 私の名前だけど・・・-北萱遺跡出土墨書土器

北萱遺跡出土墨書土器(三宅)

北萱遺跡出土墨書土器(三宅)

 私が発掘調査を担当しました中に草津市の北萱(きたがや)遺跡があります。調査地は、草津市の西南部にあり、そこは「矢橋の帰帆」で有名な矢橋町の真北にあたります。新草津川をこの場所に通すための事前調査で、現在の県道大津守山近江八幡線(通称 浜街道)から下流側が北萱遺跡の範囲になります。
 調査では、当時の水田面から約3mも下がった所から昔の川の跡が見つかりました。昔の人の暮らしていた建物跡などは見つからなかったのですが、川の中からたくさんの土器や木器が発見されました。北萱遺跡の上流には5世紀頃(古墳時代)や12世紀頃(平安時代)の建物が発見された御倉遺跡がありますので、御倉(みくら)遺跡で捨てられた土器などが下流の北萱遺跡にたまったと考えられます。
 その中に墨書土器があります。「三雲」、「三宅」と書かれた2点の土器です。どちらも須恵器と呼ばれる灰色の硬質な焼き物で、奈良時代の中頃から終わり頃に造られた土器だと考えられます。「三雲」は土器の側面の外側に、「三宅」は土器の底面の外側(土器の裏側)にそれぞれ墨で文字が書かれてありました。これらの土器の用途は食器であろうと考えられます。
北萱遺跡出土墨書土器(三雲)

北萱遺跡出土墨書土器(三雲)

 「三雲」は現在、滋賀県湖南市にその地名があり、そちらとの関係も考えられますが、草津市とは少し離れていますので関系は不明です。
 「三宅(みやけ)」とは古代の天皇家の直轄地で、そこから税(米)を徴収したり倉に蓄えたりしていた場所(屯倉:みやけ)から、その場所の地名や倉を管理する人ではないかと言われています。滋賀県では、安閑(あんかん)天皇の時代に設置されたとされる葦浦屯倉(あしうらのみやけ)がありますが、葦浦は今の草津市芦浦町付近であると思われます。そのほか、守山市の三宅町や野洲市の市三宅などの地名がありますが、現在の北萱遺跡の位置から考えて、葦浦屯倉との関わりが考えられるかも知れません。また、単純に人名とも考えられます。葦浦屯倉に関わった人が住んでいたと考えられますから、その人たちとの関係ある人と考えられるかも知れません。
 しかし、発掘当時まことしやかにうわさが流れ、最も話題をさらった説は、私、三宅(調査担当)が土器に「三宅」と自分の名前を書いたのではないかということです。当然、そんなことはしていませんが(笑)。

(三宅 弘)

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