調査員のおすすめの逸品 No.98 びわ湖の底に貝塚発見!? -藤岡謙二郎採集資料-

石器

石器

 今から数千年前の縄文時代の貝塚が、今も琵琶湖の底に眠っていることをご存じでしょうか? 現在「粟津湖底遺跡」、あるいは「粟津貝塚」の名前で、淡水産の貝塚としては世界でも有数の規模を誇る、世界的にも知られたこの貝塚、実は今から60年ほど前、昭和27年(1952)に、漁師さんの網に縄文土器が引っかかったことがきっかけで発見されました。その一報を聞いて船で現地に向かい、測量調査とともに水中の遺跡の様子を観察し、学会そして世に知らしめたのが、当時京都大学で人文地理学の教鞭を執っておられた、故藤岡謙二郎先生です。
湖成鉄の付着した縄文土器

湖成鉄の付着した縄文土器

 藤岡先生はその著作(藤岡1955・同1973など)のなかで、その当時の様子を、「・・もとより、湖底にもぐりこむアクエラングもなく、私自身二・三度もぐりこんで層序の状態をみた・・(中略)・・さらに遺物包含散布地―舟の上からでも貝塚であることは望遠鏡によって一見して明らかであり・・・」と記しています。ちなみに、藤岡先生は、当初、湖上住居趾の存在を想定して現地確認に向かったようです。また、この時に採集した資料については、先述の著作に「・・・爪形紋や撚糸文土器、大歳山に近い形式の中厚手の土器や敲石その他の石器、シジミを主とする貝殻やイノシシ、シカ等・・・」と記載されていることから、様々な資料を採集していたことが分かります。そしてこれらの資料は、「・・・出土遺物類は一括して私の所属する京大教養部の人文地理教室におき・・・」との記述がみられるように、長らく京都大学教養部人文地理学教室を前身とする京都大学大学院人間・環境学研究科地域空間論教室で大切に保管されていました。
「瀬田川鉄橋北・・」と記されたカードとイノシシの歯

「瀬田川鉄橋北・・」と記されたカードとイノシシの歯

「瀬田川鉄橋北・・」と記されたカードとシカの下顎骨

「瀬田川鉄橋北・・」と記されたカードとシカの下顎骨

 平成22年(2010)秋、これらの資料は、同教室のご厚意で滋賀県へ里帰りしました。同教室から滋賀県に移された資料には、多数の縄文土器(縄文時代早期〜中期頃の土器片が中心)や石器、イノシシ・シカ・スッポンなどの動物骨・歯牙類、セタシジミをはじめとする淡水産の貝殻などがみられます。一見して、これらの資料の大半は、表面に湖成鉄の付着が顕著に確認されることから、琵琶湖あるいは瀬田川の湖底・川底で採取された資料だと考えられるものでした。資料の中で特に注目されるのは、「1952年7月」という日付とともに「東海道本線の瀬田川鉄橋から北方約500m」と記された記録カード(おそらく藤岡先生自筆によるもの)が添えられたシカの下顎骨やイノシシの歯でしょう。先述した藤岡先生の著作には、前述の一報を聞いた藤岡先生が、その年の夏頃に東海道本線の瀬田川鉄橋から北方約500mの地点で潜水調査、さらにその周辺での測量調査等を行った、ということが記されていて、まさに当時の先生の調査の一端を示す貴重な記録・資料と言えるでしょう。
確認された動物の骨

確認された動物の骨

 現在、滋賀県埋蔵文化財センターでは、県内の縄文時代の代表的な資料を、ロビー展示『縄文人が語るもの-モノから見た縄文時代の生活-』と題した展覧会で展観中です。瀬田川川底で見つかった滋賀県内最古の石器「ナイフ形石器」(おすすめの逸品No.53)や弁天島遺跡で見つかったけつ状耳飾(おすすめの逸品No.84)のほか、平成2・3年に実施した粟津湖底遺跡の発掘調査の際に作成された「貝層」の剥ぎ取りなどとともに、今回紹介した藤岡先生の採集資料もその一部が展示されています。会期は平成25年3月31日までですが、会期中展示替えも予定されていますので、この機会にぜひ実物をご覧ください。

参考文献

藤岡謙二郎(1955)『先史地域及び都市域の研究―地理学における地域変遷史的研究の立場―』柳原書店
藤岡謙二郎・丸山竜平(1973)「瀬田川入口水没遺跡について」『近江』第3号 近江考古学研究会
滋賀県立安土城考古博物館(2012)『【人】・【自然】・【祈り】共生の原点を探る―縄文人が語るもの―』第43回企画展展示解説図録 滋賀県立安土城考古博物館

(鈴木康二)

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