調査員のオススメの逸品 夏休みの自由研究企画⑤ 誰がために鏑矢(かぶらや)は鳴る?―福満遺跡出土の鉄鏃―

今回は「あの遺跡は今!Part25」+「レトロ・レトロの展覧会2018」の目玉展示のひとつ、福満遺跡からの出土品を紹介します。福満遺跡は彦根市域の南東部、南彦根駅から徒歩5分ほどのところに所在します。平成29年度から発掘調査をスタートし、平成30年度末まで実施する予定です。

調査では、古墳時代から鎌倉時代の集落跡が見つかっています。そして、調査地を縦断するように幅15mを超える大規模な河川を発見しました。河川からは平安時代を中心とした土器や木製品が大量に出土しました。良好な状態で残っている遺物も多く、今後も貴重なものが見つかることが期待されています。今回はその中のひとつ、鉄製の鏃(やじり)を紹介しましょう。

2 河川から出土した雁又式の鉄鏃

2 河川から出土した雁又式の鉄鏃

1 発見した平安時代の河川

1 発見した平安時代の河川

今回見つかった鉄鏃(てつぞく)は2種類ありました。1つは鏃身部(鏃の先端部)の形がひし形に近いもので、柳葉(やなぎば)式と呼ばれるものです。そしてもうひとつは鏃身部が二股に分かれる雁又(かりまた)式と呼ばれるものです。ふたつとも平安時代のものと考えられます。源氏と平氏が激しく争っていた、まさに武士が台頭していく時代のものです。

さて、この鉄鏃はいったいどのような使われ方をしたのでしょうか?鏃とは、矢の先端部に取り付けるものです。はるか昔の縄文時代には、矢は人が生きるために、シカやイノシシなどの動物を射止めるために使われていました。そして時代を経て、人が人を射るための武器としても使われるようになります。つまり、対象を殺傷するための使用方法が第一であったことは言うまでもありません。今回見つかった鉄鏃も、もちろんこのような武器としての用途が想定できるでしょう。また、鏃は時代とともに石から鉄へと姿と材質を変えていきます。さらに、その時代の戦闘方法や相手の武具、たとえば甲冑の質などに合わせて、大型化など、さまざまな改良を重ねていくのです。鏃の出土は、当時の争いのあとを生々しく伝えてくれるのです。

矢はその使用方法によって、さまざまな分類がなされてきました。その分類は、10世紀に編さんされた当時の辞書である『和名類聚抄』にも書かれています。大別すると、戦闘に使われる征矢(そや)、合戦の開始を知らせるために使われる鏑矢(かぶらや)に分けられます。
発掘調査で出土する古代の鉄鏃は、その鏃の形から用途を推測する研究が進められています。その研究の中でとりわけ大きな役割を果たしたのは、数多の宝物を所蔵する正倉院に伝世する数千点におよぶ鉄鏃でした。これらの研究を参考にすると、今回出土した雁又式の鉄鏃は、平安時代以降、主に鏑矢として使われていた例が多いことがわかりました。

3 雁又の鏑矢

3 雁又の鏑矢

鏑矢とは、鏃の下方に鏑(かぶ)が付けられたものです。鏑は、野菜のカブのような長円形をしています。内部は空洞になっており、表面には複数の穴があいています。これを射ると、穴から風が入ることにより、風を切る音を大きく響かせながら矢が飛んでいくという仕組みになっているのです。この機能を活かして、鏑矢の音は合戦の始まりの合図として使われていました。福満遺跡の周辺でも、かつて戦いがあり、その開始の合図としてこの鉄鏃が放たれたのかもしれません。
この時代、覇権をめぐって日本各地で戦をくりひろげた源氏と平氏。その合戦の中でも、鏑矢の音色が響いていたことでしょう。まさにこの音色こそが、武士たちが大きく躍動する時代の幕開けを知らせる合図となったのです。

さて、数ある源平合戦の中で“雁又式の鏑矢”が使われたことはあったのでしょうか?あの源平合戦のクライマックス、1185年、屋島の戦い。陸には攻めよせる源氏、海には追い詰められた平氏。そのとき平氏方の舟に掲げられた扇の的を見事射抜いたのは、源氏方の那須与一でした。

与一が構える雁又の鏑矢(「屋島合戦画帖」を一部トレース)

与一が構える雁又の鏑矢(「屋島合戦画帖」を一部トレース)

『平家物語 巻第十一』に書かれたこのシーンの一節です。
「与一、鏑を取つてつがひ、よつ引いてひやうど放つ。」(「与一は、鏑矢を手に取って弓につがえ、引きしぼって“ひやう”と放つ。」※“ひやう”は矢が飛んでいく音。)
源平合戦を象徴するあまりにも有名なこのシーンで、与一が構えた矢こそが鏑矢だったのです。作中では鏃の種類までは書かれていません。しかし後年、彼の勇姿を描いた絵画のほとんどが“雁又式の鏑矢”を構えたものでした。

ところで、この戦いの最中、なぜ彼は鏑矢を用いたのでしょう?もちろん合戦開始の合図というわけではありません。鏑矢の奏でる音色を、没落する平氏にたむけたのか、それともやがて訪れる源氏の時代に平和を祈ったのでしょうか。きっとそこには、その場にいた人たちだけが知るドラマがあったのでしょう。

鏑矢の音は現在でも聴くことができます。例えば、各地の神社に見られる「流鏑馬(やぶさめ)」などの祭事では、実際に騎射をする前に「天長地久(てんちょうちきゅう)の儀」と呼ばれる儀式を行うそうです。天下泰平や、五穀豊穣を祈って、天に向かって鏑矢の音を“ひやう”と響かせるのです。
かつて、殺傷のために放たれた矢は、時代を越えて、人々の平和を願う象徴として今なお使われ続けているのです。 (木下)

【挿図】
・「屋島合戦画帖」(高松松平家歴史資料)
香川県歴史博物館2003年『源平合戦とその時代』より転載。

【参考】
・津野仁 2015『日本古代の軍事武装と系譜』吉川弘文館
・津野仁 2011『日本古代の武器・武具と軍事』吉川弘文館

【今回紹介した遺跡をもっと知りたい人のために】
スマホ・デ・考古学のご案内!
【安土編】 来たる平成30年7月21日(土)・22日(日)に、滋賀県立安土城考古博物館にて「あの遺跡は今!Part25」を開催します。その中で、この福満遺跡から出土した遺物もご覧いただけます。このイベントでは、本物の遺物を間近に見て、触れることをコンセプトにしています。この機会にぜひ、本物の歴史に触れてみませんか?

瀬田編】 平成30年7月25日(水)から9月2日(日)まで、滋賀県埋蔵文化財センターにて「レトロ・レトロの展覧会2018」を開催します。こちらでも福満遺跡の遺物を展示いたします。このイベントでは、満点で縄文貝塚の貝殻がプレゼントされる【クイズラリー】や、土・日限定プログラム【古代の技でGO!火起こし体験】も実施します。QRコードで自由研究のヒントを探せるパンフレットも配布予定!もちろん無料です。きて・みて・楽しいプログラムへカモーン!

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