調査員のオススメの逸品 第239回 五輪塔の井戸-中世の宗教観を考える-

滋賀県米原市清滝の山あいに、鎌倉時代中頃から続く武家の名門として知られる京極家の菩提寺「清瀧寺(せいりゅうじ)」があります。
同寺の創建期には東山道が近接しており、周辺一帯の「柏原」の中心は戦国期までは清滝をさしました。江戸時代初頭になって徳川家光が清滝をショートカットするように中山道と宿場町を整備してからは、街道に付随する「柏原宿」が柏原の中心となりました。
こうしたなかで、戦国期までの清瀧寺は京極家の菩提寺でしたが、京極家が江戸時代前期に転封、再興を過ごし、四国の丸亀藩主となった後も、清滝を藩領とし、清瀧寺の墓所領域を整備した「徳源院」を築き、菩提を弔い続けます。京極家が清滝とそこに所在する菩提寺を、いかに大事にしていたかがうかがえます。本堂などを組み込み整備を重ねた同寺は、現在「清瀧寺徳源院(せいりゅうじとくげんいん)」と呼ばれています(HP新近江名所図会第17回第109回参照)。
永らく文書を中心にその姿が捉えられてきましたが、2007~2010年にかけて行われた同寺周辺の発掘調査で、建物や井戸のあとなどがみつかり、室町時代から江戸時代にかけての造成や整備の様子など、これまで知られていなかった多くのことが明らかになりました。

この調査で、一風変わったひとつの井戸が見つかりました。わずかな自然石のほかはすべて五輪塔の火輪のみを円形に積み重ねて井戸枠にしており、大小50個近くの火輪の下面を井戸の内側にそろえ、巧みに組み合わせていました(写真1)。調査地周辺には五輪塔が散在しており、井戸制作時に近隣にあった五輪塔のうち、火輪のみを選んで転用したものと考えられます。
五輪塔は、平安時代に「地・水・火・風・空」を宇宙生成の五大要素とする仏教思想から始まったもので、下から方形・円形・三角形・半月形・宝珠形の5つを積み上げた形をしています(図1)。ほとんどは石製で、まれに木や金属、泥、水晶で造られているものもあります。

図1 五輪塔模式図

図1 五輪塔模式図

写真1 五輪塔を用いた井戸

写真1 五輪塔を用いた井戸

井戸に用いられていた火輪は全て石製でした。石材には複数の種類があり、大半が白っぽく目の粗い花崗岩ですが、なかには青みを帯びてキメの細かい砂岩や湖東流紋岩、越前産の笏谷石も含まれており、多方面から集められていることがわかります。また、大きさや形に違いがあるほか、風化の著しいものから新品同様のものまであり、時期的にも差があるものでした。
こうした様子は五輪塔の製作や運ばれてきた背景などを考える上で重要な情報であるとともに、当時の人々の宗教観を探るための貴重な事例であるといえます。
五輪塔を転用する例に、安土城の石垣があります。信長の築造した城だからとも思いがちですが、構造物の一部に使用する例は戦国期の城石垣や水路への使用など、数多くあります。
中世の人が抱く供養塔に対する感覚と、現代のわたしたちの多くが抱くイメージはかなり異なっていたようです。この井戸は当時の宗教観を知るうえで貴重な逸品と言えます。

<参考>『清滝寺遺跡・能仁寺遺跡』滋賀県教育委員会・(財)滋賀県文化財保護協会2012

中川治美
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