調査員のオススメの逸品 第242回 八幡瓦 ―在地瓦と記された銘・刻印―

みなさんは、屋根の上に葺かれた「瓦」って、どれぐらい「眺めた」ことがありますか?

今日、屋根に葺かれている瓦の多くは、江戸時代に開発された「桟瓦(さんがわら)」と呼ばれる瓦の仲間です。それまでの瓦は、丸瓦と平瓦という二種類の瓦を組み合わせて屋根に葺くことが基本でした。「桟瓦」はこの丸瓦と平瓦を組み合わせて、一つの瓦にしたもので、この桟瓦の発明によって、屋根に葺く瓦の重量がかなり軽減されたといわれています。

ちなみに、この桟瓦、発明したのは滋賀県の大津に居た瓦職人「西村半兵衛」で、延宝二(1674)年のことだったようです。当時江戸で使われていた「火除瓦(ひよけがわら)」という瓦をみて桟瓦を考案した、ともいわれています。明暦三(1657)年に江戸城および江戸市中の過半を焼いた「明暦の大火」など、当時江戸や大坂などの都市部では、度重なる火災により大きな被害があったようです。享保五(1720)年、時の八代将軍徳川吉宗は、火災の延焼を防止し被害を最小限にとどめる上で、瓦は非常に有効であると認め、一般民家が瓦を葺くことを奨励しました。その後瓦葺き屋根は、急速に各地の民家に普及したといわれています。

さて、このような流れの中で、桟瓦の発明・導入以降「在地瓦」と呼ばれる瓦が、各地で焼かれるようになりました。滋賀県内では、現在の近江八幡市の旧市街地を中心に作られていた「八幡瓦」や、大津市を中心とする「松本瓦」などが知られています。今回ご紹介するのは、発掘調査で見つかった「八幡瓦」に記されていた、当時の職人さんの屋号の「刻印」のひとつです。

写真2 拓本

写真2 拓本

写真1 刻印「瓦屋仁兵衛」

写真1 刻印「瓦屋仁兵衛」

この資料は、平成28年に実施された、八幡城下町遺跡の発掘調査で出土したものです。上述した「桟瓦」の中でも、軒桟瓦の破片です。その裏面の一部に写真のような刻印が残っていました。右上から順に「八幡多賀村 御瓦所 瓦屋仁兵(衛)」と読めます。この瓦屋仁兵衛、実は、当時の多賀村の瓦工を代表する瓦師だったことが分かっています。「瓦屋仁兵(衛)」さんは、寺本仁兵衛という瓦師で、そもそもは八幡別院の再建の時(元禄七(1694)年~宝永二(1705)年頃か?)に、瓦の製造・瓦葺き工事を行なうために、京都深草から呼ばれ近江八幡に移り住んで名乗ったのが最初です。その後代々瓦屋仁兵衛を屋号として、八幡多賀村を代表する瓦師として活躍します。ちなみにもう一種類、「〇に一」という刻印も、この瓦屋仁兵衛に関わるものだという指摘もあります。

写真3 刻印「〇に一」

写真3 刻印「〇に一」

この刻印は瓦の端面(おそらく頭側)に記されていて、屋根に葺かれた際にも下から見えることを意識していたものと考えられます。近江八幡市域では、旧の市街地に伝統的建造物群保存地区として、当時の商家などがそのまま保存されていますので、軒先の瓦を丁寧に眺めながら歩くと、これらの刻印を目にすることができるかも知れません。

ちなみに、近江八幡市は、最近は八幡堀なども有名で、映画のロケ地としてもよく知られていますので、みなさんも行かれることがあるかも知れませんが、伝統的建造物群の保存地区も、この八幡堀のほとりにありますので、是非少し足を延ばしてみて下さいね。

【参考文献】
・森郁夫2001『瓦 ものと人間の文化史100』法政大学出版局
・近江八幡市2006『近江八幡の歴史 第2巻 匠と技』

(鈴木康二)
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