調査員オススメの逸品 第218回 「中世のテーブルウェアー-近江出土の瓦器椀」

 近江において(ここでは滋賀県と呼ばず旧国名の近江とします)、中世の日常雑器、特に供膳具として土師器、黒色土器、山茶椀、瓦器があります。遺跡からの出土分布をみてみると、土師器は全域でみられるものですが、それ以外は出土地域に偏りがあります。黒色土器は湖西・湖南・湖東地域と広範囲の分布が認められ、とくに野洲市を中心に湖南地域で濃密な分布が認められます。これは生産地の場所を示している可能性が高いと考えられます。山茶椀は湖東北半部から湖北地域を中心に分布しています。これは生産地が東海地方であることから、入手し易いことが原因と思われます。最後に瓦器ですが、分布地域は比較的狭く湖南地域でも南西地域(大津市南部・草津市)、甲賀市域、湖東南部(東近江市の旧八日市・蒲生町・日野町)となります。

写真1 瓦器椀(関津遺跡出土)

写真1 瓦器椀(関津遺跡出土)

写真2 瓦器皿(関津遺跡出土)

写真2 瓦器皿(関津遺跡出土)

写真3 貴生川遺跡出土土器

写真3 貴生川遺跡出土土器

 

 ここで逸品として取り上げるのは「瓦器」です。瓦器は読んで字の如く「瓦」の器にふさわしく、器の表面が瓦のように燻されて黒光りしています。そして、内外面に暗文とよばれる幅1~2㎜程度筋状のミガキが施されています。これは燻された効果も相まって、光の当たり具合でキラキラと金属器のような光沢感を醸し出します。器形は椀と皿があり(写真1・2)、11世紀中頃から後半にかけて近畿地方で出現します。器形などの特徴から大きく旧国名にちなんだ「大和」、「樟葉(摂津)」、「和泉」の3つ型式が代表的で、近江で出土する瓦器は、この中の大和の影響を受けたものです。11世紀後半に大津市南部(関津遺跡など)、湖東南部(東近江市旧蒲生町)で出現し、13世紀代まで確認されます。先述のように近江の瓦器は、大きな枠組みとして「大和型」瓦器椀として認識できるものですが、細部で異なる個体がみうけられることが問題となっていました。しかし、近年、大津市南部、甲賀市域の発掘調査事例が増加したことにより、近江でどのように瓦器が出現し、展開したのかが明らかになりつつあります。結論からいえば、大津市南部地域は出現から消滅まで「大和型」そのものが確認され、近江における「大和」的な地域で人・モノが大和から来ていたと推測されます(調査員のおすすめの逸品No.57で関津遺跡出土の瓦器については紹介されています)。一方、甲賀・湖東南部地域は当初「大和型」を真似るのですがそれが続かず、最後は「大和型」の亜流である伊賀型と呼ばれる瓦器が展開していくことが分かりました(写真3の中央付近の瓦器)。このように近江の瓦器の動向をみるだけでも、狭い地域内に差があることが明らかです。
 最初に取り上げたように近江においては、供膳具として様々な器種があり、分布域を重ねながら存在しています。これらの土器は「椀」という汁物やご飯を盛ったり入れたりする器ですが、地域によっては同じ遺構から「黒色土器」と「瓦器」、「黒色土器」と「山茶椀」が出土することがあります。当然、流通網の関係から入手しやすい地域とそうではない地域が存在して、分布の濃淡が生まれるわけですが、それですべてを説明できるわけではありません。遺構からの出土状態からすると、当時の人がどんな基準で器を選んでいたのか、使い分けをしていたのか、もしかしたら器種には無頓着であったのかも、といった疑問が次々に湧いてきます。当然ですよね。「あなたはご飯を黒色土器で、私は瓦器で」といったことがあったかもしれないのです。しかし、残念なことに考古学では当時の人々の好みといった感覚まで明らかにできません。だからこそ、考古学だけではなく、文献資料、絵画資料などを参考にしながら当時の人々の心情を含めた実態まで迫る努力をしますが、なかなかそこには至りません。
 「瓦器」という中世の集落遺跡を掘れば大量に出土する遺物も、それを近江という地域で見直すと様々な当時の人々の姿がみえてきます。近江における「瓦器」は、希少価値の高い珍しい「逸品」ではなく、今の私たちに様々なことを想像させ、教えてくれるありふれた「逸品」です。

堀 真人

《参考文献》
滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会2007『関津遺跡Ⅰ』
滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会2010『関津遺跡Ⅲ』
甲賀市教育委員会・公益財団法人滋賀県文化財保護協会2017『貴生川遺跡発掘調査報告書』

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