調査員オススメの逸品 第221回 江戸時代の水道職人 ‐大津廃寺跡の上水道施設‐

写真1

写真1:大津廃寺跡発掘調査地(滋賀県庁方面から)

写真2

写真2:発掘調査地の北側を通る旧東海道(東から)

写真3

写真3:見つかった上水道施設        水道管の立体交差や上下クランクなどの工夫がみられる

写真4

写真4:実測作業中のL字孔のある継手      竹管は隙間なくあけられた孔に接続される

写真5

写真5:「拾八番」と番付けされた継手

 平成29年5~7月にかけて滋賀県庁前にある大津廃寺跡の発掘調査を担当しました(写真1)。現在は出土した遺物や記録した図面・写真などとともに、安土城考古博物館内にある整理室に移って整理調査を行っています。
 大津廃寺跡は、周辺で古代瓦が出土することから主に古代寺院の存在が推定されている遺跡ですが、今回調査を実施した地点では、江戸時代の水道施設が良好な状態で残っていました。遺跡の付近は、江戸時代には港町・宿場町・門前町として栄えた「大津百町」と呼ばれる市街地が形成されており、今回の調査地の北側に旧東海道が通り、街道沿いに建ち並んでいた町屋の背後にあたります(写真2)。
 見つかった水道施設は、町屋の背後から生活用水を供給していた上水道と考えられ、一部が立体交差する3水系の水道管が敷設されていました(写真3)。その基本構造は、節を抜いた竹製の水道管を、接続する方向によって「ストレート」あるいは「L字」に孔があけられた木製の継手と連結させ、地中に埋設しています。
 江戸時代の上水道施設は県内でもしばしば見つかっており、第196回でも触れられています。第196回では「槇皮(マイハダ)」と呼ばれるヒノキやマキの内皮を加工した防水用充填材が管と継手との接続部に詰め込まれていた事例が紹介されていますが、大津廃寺跡で見つかった水道施設には使用されていません。なぜなら水道管となる竹の径にピッタリ合わせて隙間なく継手に孔があけられているためです(写真4)。継手には孔をあける位置の基準とした十字の墨打ち線が残るものも多く、「拾○番」などと番付けされたもの(写真5)や据え置く面を示した「上ハ(上端の意味か)」や「南」などの墨書がある継手も見つかりました。
 また、単純に竹管を継手で繋いでいるだけではない、当時の水道職人の工夫が各所にみられます。まず、水道管となる竹管の漏水あるいは外部からの入水を防止する目的で、管の周囲を粘土で覆っていることが挙げられます。管が立体交差している部分には、管の下に板材を敷いて埋設し、管が折れ曲がるのを防いでいます。さらに、後々の補修を見越した工夫も見られます。水道管の上に節が抜かれていない細い竹が這わされている部分があり、これは掘り直して補修する時に地中に埋設してある水道管本体を破損してしまわないように、管が近いことを示す目印として一緒に埋められたと考えられます。実際に補修も行われていたようで、新設した継手を固定する押さえとして、丸太などとともに古い継手が再利用されています(写真3)。
 私が特に感心した工夫に、孔が「L字」にあけられている継手を積み重ねて上下クランクさせることで水道管の高さを上げ、1m程度進んだ位置で再び同じ構造によって管の高さを下に戻している部分があります(写真3)。この部分では管を上下させて避けるべきものは何もなく、水道管の傾斜もほぼ水平となって水流を抑制していたとみられることから、ここで混じり込んだ砂などを沈砂させ、上澄み水のみを町屋に供給する構造であったと推測されます。
 今回の調査を通して、部位によって径が異なる竹管に合わせて継手に孔をあける精密な技術や、水道管敷設時の各所にみられる工夫といった江戸時代の職人技に直面しました。私にとって、先人の知恵や技術を的確に読み取り、成果を適切に報告して記録を残していく発掘調査職人としての技術をより高い精度に磨きあげていきたいと改めて考えさせる逸品となりました。

小林裕季

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