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新近江名所図会

新近江名所圖會 第370回 琵琶湖の水位と幻の城―大津市坂本城の湖中の石垣―

大津市

最近、琵琶湖の水位が近年と比較して著しく低下していることが話題になっていることご存じでしょうか(2021年11月〜12月)。
秋は晴れが続くことが多く、年間の降水量も最も少ない時期であることに加え、琵琶湖の水位に大きく影響する台風が今年は上陸しませんでした。結果11月18日の水位は基準のマイナス65㎝と、2007年(平成19年)以来、14年ぶりの低さとなりました。最大は11月30日にマイナス69㎝となりましたが、幸いにそれ以降は回復しつつあります。なお、2007年はマイナス64㎝でした。

写真1 湖中から顔を出した石垣①
写真1 湖中から顔を出した石垣①

 ちなみに琵琶湖の水位の基準はB.S.L(Biwako Surface Level)と表されます。もともとB.S.L.0mは大津市の瀬田の唐橋にある鳥居川水位観測所の零点高T.P.(※)+84.371mとなっています。この高さは大阪城の天守閣の高さとほぼ同じ高さです。そして、琵琶湖の水位の表記は、琵琶湖の5か所の観測所、片山(長浜市高月町)・彦根・大溝(高島市)・堅田(大津市)・三保ヶ崎(大津市)の平均水位としています。そしておおむねこのB.S.L.0m を基準として琵琶湖から流出する瀬田川の洗堰で放流量が操作されており、梅雨や台風シーズンである毎年6月16日~10月15日はマイナス20~30センチを目安に調節されています。それが、今年は9月中旬以降、台風が上陸せず、好天も続いたため、彦根地方気象台によると9月中旬から11月中旬の降水量が大津市で平年の約4割、県北部の彦根市で約3割だったそうです。
 私が記憶する渇水は、1994年(平成6年)の大渇水です。当時、学生であった私はお世話になっていた調査員さんから「水位が下がって坂本城の石垣がみられるぞ」と教えていただいたことを覚えています。当時の新聞をみてみると、9月15日に観測史上ワースト記録のマイナス123㎝を観測したそうです。その後、9月末に台風が上陸し、その影響で10月の中旬にはマイナス53㎝に回復し、危機的な状況を脱したとありました。
 この大渇水時には、坂本城の石垣の基礎部分が出現して、遠方からも見学に多くの人が押し寄せて道路が大渋滞したとの記事もみられます。この時は、坂本城だけではなく、現在の高島市の伝承の集落「三矢千軒」に関わる石組や長浜城の通称「太閤井戸」、守山市の赤野井湾遺跡なども水位の低下で普段は湖中にあって見られないものが見られるようになったと新聞記事に取り上げられています。
  ※T.P.=Tokyo Peilの略;東京湾平均海面のこと。全国の標高の基準となる海水面の高さ。

写真2 湖中から顔を出した石垣②
写真2 湖中から顔を出した石垣②

◆おすすめPoint
 今回の渇水でも、坂本城の石垣が湖中から顔を出したことがニュースになっていました。私も早速、現地を訪れました。現地では、湖中に「L」字に曲がった石垣の一部を見ることができました(写真1・2)。この地点は、大津市教育委員会に発掘調査された地点の湖岸側にあたり、発掘調査報告書で図化されている湖中石垣の遺構番号「KV3」に相当するものであろうと考えられます。1994年の大渇水時には、石垣の基礎である胴木(石垣を設置するために木で組まれた基礎材)が露出して、乾燥してしまうことが問題とされていましたが、今回の渇水ではそこまでの水位低下でなかったことからまさに石垣が顔を出したといった表現がしっくりくる状況でした。
 余談ですが、今回の渇水が14年ぶりということで、14年前、2007年の水位を確認すると12月が最もマイナスが大きかったことがわかり(国土交通省近畿地方整備局HP過去の琵琶湖水位データベース参照)、当時の新聞記事を見てみました。するとまったく坂本城の石垣関連の記事は見当たりませんでした。渇水の規模はほぼ同等なので、石垣が顔を出していてもおかしくないのですが、どうして話題にならなかったのでしょうか。おそらく、SNS等の情報発信ツールの普及が大きく影響していると考えられます。今回の石垣出現の情報もSNSの発信が発端となり大きく取り上げられたようでした。まさに10年ひと昔を地でいくような話ですね。同じ現象が起こっても、一部の人たちだけで終わるのと、広く知れ渡り注目される。当たり前ですけど、時代の流れを実感してしまいました。

写真3 西教寺総門
写真3 西教寺総門

◆周辺のおすすめ情報
 周辺のおすすめは、当然、坂本城(新近江名所圖會第282回)ということになりますが、残念ながら現在、坂本城は姿をとどめていません。
 その坂本城に思いを馳せることができるスポットとして聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)の表門(新近江名所圖会114回)、西教寺の総門がそれぞれ坂本城から移築されたと言われています(写真3)。また、西教寺には明智光秀一族の墓とともに光秀正室の熙子(ひろこ)の墓があります(新近江名所圖会第333回)。
(堀 真人)

≪参考文献≫
大津市教育委員会2008「坂本城発掘調査報告書」大津市埋蔵文化財調査報告書(43)
◆アクセス
 東南寺前の「坂本城址」石碑まで
【公共交通機関】京阪石山坂本線松ノ馬場駅下車 徒歩15分
【自家用車】大津ICから17分

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