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調査員のおすすめの逸品 №259 塩津港遺跡の松明(たいまつ)

長浜市
図1「年中行事絵巻」松明を掲げる人たち そばにはお付きの小僧さんが替えの松明を持って待っている。足元には短くなった松明が火の付いたまま捨てられている。この捨てられた松明の燃え残りが塩津港遺跡から大量に出土した。
図1「年中行事絵巻」松明を掲げる人たち
そばにはお付きの小僧さんが替えの松明を持って待っている。足元には短くなった松明が火の付いたまま捨てられている。この捨てられた松明の燃え残りが塩津港遺跡から大量に出土した。

松明(たいまつ)は太さ1~2㎝、長さ60㎝程度に細く裂いた木を7~8本軽く縄で束ねたものです。平安時代の終わりごろの絵巻に人々が火を付けた松明を手に持ち掲げ、灯りとしている場面が多く描かれています。ロウソクや油が高価であった時代、最も安価な灯りが松明だったのです。その素材は読んで字の通り「松の木」で特に油分の根の部分を使っていたと常識的に考えられていました。
長浜市にある塩津港遺跡(12世紀)の発掘調査で松明がたくさん出土しました。太さが1~2㎝程度に粗く裂いた木で、片側の端が焼けて炭になっています。ただ焼けた木片では松明と判断できないのですが、この木は木目がどれもこれも湾曲したり、捻じれていたりします。強い湾曲を直すために、切れ目を入れて直しているものもあります。
柱や板に加工された木は木目が直通に通った木ばかりです。製材用のノコギリが無かった当時、板は裂いて製材しました。そのため捻じれがある木や、節の多い木は製材が困難なために避けられ、直通の素直な木ばかりが使われました。
出土した松明を樹種同定(木の種類を判定する作業)すると、結果は予想に反して「ヒノキ」でした。松は1本もありません。どういうことでしょうか。出土した松明の素材はヒノキだったのですが製材が困難なひねくれた木ばかりです。

図2塩津港遺跡出土の松明 塩津港遺跡で最も多く出土した木製遺物。 どれも歪んだ原材(ヒノキの枝)を加工。
図2塩津港遺跡出土の松明
塩津港遺跡で最も多く出土した木製遺物。
どれも歪んだ原材(ヒノキの枝)を加工。

一方、柱や板に使われているヒノキは素直な木ばかりです。

ヒノキの木は真っすぐに伸びた幹に細い枝が湾曲して多数付きます。つまり、幹は直通の素直な木で建材などによく使われる優秀な木なのですが、枝は細くて曲がっていて何ともならないのです。伐採したヒノキは枝を採り去って、幹だけを使用した・・のでは無く、無用だと思われた枝は松明に加工していたのです。古代のエコです。切り倒した木は余すところなく使っていたのです。
ヒノキとよく似たスギはどうでしょう。スギはこの遺跡出土の木製品の9割以上を占める有用材です。やはり使われたのは幹の部分です。ではスギの枝はどこに行ったのでしょう?・・よくわかりません。遺物としてはほとんど出土しません。松明にすればヒノキよりも早く燃え尽きるスギはダメだったのでしょう。思いつくのは造り酒屋に飾られる「杉玉」や高級料亭の小便器に置かれた氷柱に乗せられるぐらいで(いったことはありませんが)・・皆様も考えてみてください。(葉は線香の基材となります。)

図3「年中行事絵巻」燈明の灯りでの宴席 柱ごとに金輪が取り付けられ土師器皿が乗せられ、油を入れ、芯を立てて火を灯している
図3「年中行事絵巻」燈明の灯りでの宴席
柱ごとに金輪が取り付けられ土師器皿が乗せられ、油を入れ、芯を立てて火を灯している

松明は当時もっとも多く使われた灯りですが、屋内で使うことはできません。屋内で使われたのは平安時代の終わりころから普及し始めた燈明(とうみょう)です。小さなお皿に油を入れ、芯を立てて小さな火を灯したものです。小さな炎を長く灯すことは意外と難しく、燈明かロウソクにしかできません。ただ、油は高価なため、まだ寺社や一部の人にしか使われていませんでした。
平安時代の後期に描かれた「年中行事絵巻」に夜の場面があります。外では松明をかざした人々がおり、屋内では御大臣たちが宴席に付いています。この宴席の場を照らしているのが燈明です。柱に打ち付けられた「金輪」に土師器皿が乗せられ、小さな火を灯している場面が描かれています。
塩津港遺跡からこの金輪が3個出しました(図4)。平安時代の終わりごろの塩津港は大きな屋敷が立ち並び、町は夜になっても松明で照らされ、家の中は燈明が灯され喧騒としていた様子が窺えるのです。  (横田洋三)

図4 塩津港遺跡出土の金輪 鉄製の輪で、ちょうど土師器の小皿を乗せられる大きさになっている。塩津にこれを取り付けられる立派な柱があり、天井高の高い立派な建物が存在していた証拠でもある。
図4 塩津港遺跡出土の金輪
鉄製の輪で、ちょうど土師器の小皿を乗せられる大きさになっている。塩津にこれを取り付けられる立派な柱があり、天井高の高い立派な建物が存在していた証拠でもある。
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