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宿場町を流れる清流・地蔵川

オススメの逸品

調査員のおすすめの逸品 No.103 醒井餅-近江・醒井の自然と歴史が育んだ“名産”-

米原市

今から15年ほど前、近江の街道資料を調べていたところ、米原市柏原宿歴史館で開催されていた企画展『みち・ひと・まち-坂田郡の街道・宿場展-』で、「醒井餅」の包み紙に出会いました。
JR東海道線を米原駅からひと駅東にいくと「醒ヶ井」駅です。このすぐ近くに、江戸時代の幹線道路・中山道の宿場町として栄えた「醒井宿」(新近江名所図会第70回)があります。この宿場町の名産品として広く知られたのが「醒井餅」です。どのくらい有名だったかといいますと、現代でいうと、ホッチキスと云えばステープラー、バンドエイドと云えば絆創膏と自然に口をつくように、醒井宿の繁栄した頃、醒井と云えば音に聞こえた名水、「醒井餅」と云えばその水で作られた名産餅だったのです。

宿場町を流れる清流・地蔵川
宿場町を流れる清流・地蔵川

醒井宿にはヤマトタケルに由来する名水「居醒めの清水」を源流に持つ清流・地蔵川が流れています。江戸時代後期に中山道の観光名所を描いた『木曽路名所図会』には、「三水四石の名所あり 町中流れ有て至って清し・・・」「この清水の前には茶店ありて常に茶を入れ醒井餅とて名産を商う 夏は心太(ところてん)素麺を冷やして旅客に出す みな清泉の潤ひなるべしとぞ志られける・・・」とあり、当時から宿場町に清水が流れ、その水を使ったいろいろな食べ物が供されていたことがわかります。なかでも「醒井餅」は全国的に名を馳せた名産品で、当時の複数の書物にも見られます。いくつかその例をあげてみましょう。
『好色一代男』『世間胸算用』『日本永代蔵』といった江戸時代前期の浮世草子の作家として著名な井原西鶴が記した『諸艶大鑑(しょえんおおかがみ)』には、「今日嘉祥喰とて二口屋のまんぢう、道喜が笹粽、虎屋のやうかん・・・醒井餅取りまぜて十六色・・・」と、京都の遊里島原での盛り上がる「嘉祥(かじょう)」の様子が出てきます。嘉祥とは、旧暦6月16日に菓子や餅を食べ、厄除け・招福を願った行事です。起源は定かではありませんが、室町時代には武家や宮中で行われていたものが江戸時代に最も盛んになり、幕府では江戸城の大広間に約2万個の菓子を並べ、将軍から大名・旗本に与えました。
諸大名の献上品リストなどにもその名を見ることができます。地元彦根藩の贈答品には、諸大名から贈られた地域の特産品のお返しに、鮒鮨・松原海老・漬松茸・鴨・「醒井餅」などを贈っていました。朝鮮通信使随行の対馬藩宗家家老らへの献立にも「さめかいもち」が登場します。城下でもつくられていて、江戸後期の彦根藩士八木原家の『八木原家年中行事帳』には、年末の餅つきに「醒井餅」をつくったことが記されています。有名になるにつれ、醒井以外で作っても同様のものを「醒井餅」と呼んだようです。さらに、『臼杵(うすき)藩御会所日記』にも江戸時代前期から中期にかけて「醒井餅」の名がみられ、初代稲葉貞道が美濃から入国していることもあるのか、献上品・法事・病気見舞などのために、遠く豊後(大分県)の臼杵藩にまで数度送られています。
近年では、野村萬斎さんが演じて話題になった狂言『業平餅』にも見ることができます。色好みの業平が街道の餅屋に立ち寄ったり、餅を得るために亭主と交わすやりとりを描いたもので、醜い餅屋の娘を巡る出来事に、好色で貧乏な貴族を揶揄する内容です。餅屋とのかけ引きのなかで「店なる餅のうまげさよ・・・涙は雨や 醒井餅・・・」と歌われます。
奈良県唐招提寺の修正会の最後の餅談義にも登場します。修正会は新年を迎えるにあたって前年の行いを悔い改め、世の中の平安・五穀豊穰を祈願するものといわれています。厳格な行事の後に鏡餅を供えた人の名を読み上げ、全国48種の餅の名を讃嘆するものです。僧侶が独特の節で「そもそももちの・・・夢見て後は醒井餅 よろずの罪を消し餅・・・」と、各地の餅を歌います。

丁子屋製菓の復刻「醒井餅」”素焼き”
丁子屋製菓の復刻「醒井餅」”素焼き”

あげるとまだまだ・・・。このように広く知られた「醒井餅」。作り方や形状については、地方の名物料理をまとめた江戸時代中頃の『料理山海郷』に「近江醒井餅」として、「極上の米で餅を作り薄く切って藁であんで陰干にしたもの」と記されています。また江戸時代中頃の『近江輿地志略』には、「紅黄白の片餅大さ堅四五寸幅四五分厚さ一分に及ばず甚だ薄し」「今短冊餅とて幅一寸六分許長五寸許黄白赤の三色にしてこれを売る専ら醒井餅という。これ百年以来の事也。」と記されています。これによると、幅4.8㎝×15㎝で厚さ3㎜未満、あるいは巾1.2~1.5㎝×長さ12~15㎝ほどの大きさの薄い片餅(薄く削った餅)で、赤・黄・白の3色があったことになります。

伊部宿の「醒井餅」(焼いていない状態)
伊部宿の「醒井餅」(焼いていない状態)

名を馳せた「醒井餅」も宿場町の衰退とともに途絶えてしまいましたが、近年復刻され、中山道沿い醒井宿の一画にある丁子屋製菓で販売されています。軽やかな食感と素材の味が口の中に豊かに広がります。素焼き・ゴマ・エビの3種類がありましたが、最近ではエビはお目にかかれません。
展示室の一画で出会った「醒井餅」ですが、いにしえより名水で知られた醒井の清水と上質な米で作った「醒井餅」は味も良く、広く知られた名物になったと思われます。「醒井餅」はまさに地域の自然と歴史が育んだ逸品、地域に根差した“名産”が意味するところを我々に教えてくれる逸品です。

参考文献

江後典子(1992)「臼杵藩御会所にみえる食物について」『別府短期大学紀要』第11号
彦根城博物館(2005)『彦根の食文化』
虎屋(1995)『歴史上の人物と和菓子展その2-第四十五回虎屋文庫資料展』
福井県(1994)『福井県史 通史編3』

(中川治美)

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