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調査員のおすすめの逸品 No.55 弥生時代の大臼-草津市柳遺跡出土-

草津市

今回紹介する臼は、2001年に草津市の柳遺跡から出土したものです。発掘調査は草津川放水路(新草津川)改修工事の事前調査として実施しました。この調査は、翌2002年に予定されていた新川の暫定通水に向けて、広い面積を短期間で掘り上げなければなりませんでした。そのため60名ほどの作業員さんたちと一緒に、慌しく発掘作業を行っていました。今ではその日々が懐かしく思い出されます。

大臼
大臼

柳遺跡からは、弥生時代後期(約1,800~2000年前)の川跡がたくさん見つかりました。遺跡の周辺は地下水位が高いため、通常は腐ってなくなってしまう木質遺物が水漬け状態で良く保存されていました。その結果、川を埋めた土の中からは膨大な量の木器や木材が出土しました。
その中にほぼ全形を残した2点の臼がありました。両方とも胴体がくびれており横から見ると鼓形をしています。大きさは大小あって、発掘調査当時から大臼・小臼と呼んでいました。大臼は直径が87㎝あり、径でみると全国最大のものです(管見では、まだこれを超えるものは出土していないように思います)。小臼の方は直径59.5㎝ですが、これでも全国的にみても最大級サイズであることからすると、大臼がいかに大きいものかわかります。
道具には機能に応じた大きさがあって、大きければ良いというものではありません。柳遺跡の大臼もつき穴のサイズはとくに大きいということはないのですが、搗き穴のまわりの部分が異様に広く作られているのです。
ある人はついているときに飛び散る穀物を縁の上にためて回収するためではと言いますが、そういった機能が重視されたなら、これと同じくらい縁を広く作った臼がもっとあっても良いはずです。実際に杵をもって大臼をつく姿勢をとってみると、縁が広い分、体と搗き穴が離れすぎて作業しづらいことがわかります。大臼のつき穴は使用時の摩擦で黒光りしているので、実際に使われたことはまちがいないのですが、作業効率が落ちるほど大きく作ったことの意味の解釈はできていません。
臼は穀類を脱穀したり、製粉したりするのに使われたと考えられています。現代的な感覚では、臼と言えばすぐに餅つきが思い浮かぶのですが、弥生時代の臼が餅つきに使われたかどうかは不明で、そもそも餅が存在したのかどうかもわからないようです。柳遺跡の大臼は、もしかしたら神に供える特別な食物の調理用として特別なフォルムで作られたのではとの思いもよぎるのですが、まったくの想像でしかありません。

なお、通常の木器を保存処理する場合、樹脂溶液に1年も漬けこめば十分なのですが、大臼にはまる2年以上かけました。発掘現場での取り上げ、水漬け状態での仮保管、実測図面作成、写真撮影、すべての調査工程において恐ろしく世話がやけたことも、大臼に対する思い入れを強くさせています。

(平井 美典)

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