オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品№382 白と赤のコントラスト―栗東市蜂屋遺跡出土の鴟尾―
栗東市蜂屋に所在する蜂屋遺跡では、平成30年(2018)に行った発掘調査で、正南北方向の2条の平行する溝などが見つかり、それらなどから、飛鳥時代後期(白鳳期:7世紀後半頃)の瓦がたくさん見つかりました。溝は寺域の西辺を区画する築地塀(ついじべい)の雨落ち溝と考えられ、瓦とともに、当時この辺り一帯に寺があったことを示しています。寺域の一部を調査しただけにもかかわらず、出土した瓦の総重量は約16トンととても多いので、瓦が葺かれた建物がいくつも建てられた大寺院だったのではないか、と推測されます。
見つかった瓦の大半は、丸瓦・平瓦と呼ばれる文様を持たないものです。少数ながら文様を持って軒先に飾られた軒瓦も出土していますが、その一部については、「調査員のオススメの逸品」第248回で忍冬文単弁蓮華文(にんとうもんたんべんれんげもん)軒丸瓦を、第253回で法隆寺式軒丸瓦・軒平瓦を、それぞれすでに紹介しています。今回私が紹介するのは、それらとは異なる、「鴟尾(しび)」という装飾用の瓦についてです。
「鴟尾」という言葉にはあまり馴染みのない方が多いかもしれませんが、寺などの瓦葺建物の棟の両端に載せる一対の飾りで(写真1)、中世・近世の城の天守に載せる鯱(しゃちほこ)とよく似ています。「鴟」とは、漢和辞典を調べてみると、トビやフクロウといった鳥類のうちの猛禽類(もうきんるい)を示す字でした。ですから、鴟の尾と書くことから、「鴟尾」はそれらの鳥の尾がはね上がった状態を模したものが、元々の形だったのかもしれません。

蜂屋遺跡では約50点の鴟尾と思われる破片が見つかりましたが、色調で白色と赤色の2種類にはっきりと分けられました。使われている粘土の質感や焼きの程度もそれぞれでほぼ似ていたので、赤色の鴟尾と白色の鴟尾がそれぞれ1個体ずつあったと考えました。赤色と白色が一対ずつ、つまり2個体ずつあったと考えることもできますが、調査した面積が限られることと、これまでの各地での出土事例から推定される鴟尾の大きさと見つかった破片の数・量からすると、1個体ずつと考える方がよさそうです。
白色の鴟尾(写真2)は表面の文様が残るものが多いのですが、それらの文様は段差などによる凹凸はなく、線だけで丸や直線を描くシンプルなものです。一方、赤色の鴟尾(写真3)は、白色の鴟尾と同じように線だけで文様を描く破片もあるにはあるのですが、2・3点と数が少なく、大半が写真にあるような、内側部分と思われる破片でした。どちらも、一個体が復元できるだけの破片が出土しておらず、またすべてがくっつくわけでもないので、全体の大きさや形などは正確にはわかりません。


今回見つかった白色と赤色の2個体の鴟尾は、同じ建物に葺かれていたとは必ずしも断定できないものの、先ほど述べたような出土状況から考えると、同じ建物に一対で置かれていたと推測されます。つまり、最も目立つところに飾られる鴟尾の色が、左右で全く違う白色と赤色と考えられるのです。白色と赤色のコントラストの違いには、何らかの意味があったのでしょうか?
ただ、そもそも今回蜂屋遺跡で出土した瓦の色についていえば、灰色や橙色・白色など様々な色があり、現代のわれわれが民家の屋根瓦などでみるような、黒灰色など一色だけとはだいぶ印象が違うようです。このような色の違いは、焼きの程度が大きな要因のようですが、蜂屋遺跡で見つかった寺用に築かれた窯では、瓦を焼く技術が未発達だった、ということなのでしょう。だとすれば、鴟尾の色の違いも、めでたい「紅白」の意味合いがあったわけでもなく、焼いた時の条件が違った、結果的なものなのかもしれません。
今回紹介した白色と赤色の鴟尾は、滋賀県立安土城考古博物館の中にある整理室で10月11日(土)・12日(日)に開催する、「あの遺跡は今!Part32 見て・触れて・感じる考古学」【詳しくはコチラ】で展示しますので、興味をもたれた方はぜひ見にきてください。
また、蜂屋遺跡の寺をテーマに、令和7年7月に栗東市で開催されたシンポジウム「蜂屋廃寺と法隆寺」の記録集が、サンライズ出版さんから好評発売中です(写真4)。こちらも、興味を持たれた方はぜひ書店でお買い求めください。

(小島孝修)