新近江名所図会
新近江名所圖會 第247回 湖南市の隧道~大沙川隧道と由良谷川隧道
滋賀県には、多くの天井川があります。天井川とは川床が周囲の平地よりも高い位置にある河川のことで、一般的には「水源付近の荒廃によって土砂が流出し川床が上昇」→「氾濫を抑えるために堤防の築堤」→「河道の固定化により川床がさらに上昇」を繰り返した結果生成されたもの、とされています。典型的なものとして、草津市の国道1号線の上を流れていた草津川がありましたが、平成14年に草津川放水路が完成したことにより廃川となり、現在は見ることができません。ですが、通行者の頭上を川が流れていた頃の趣深い姿を現在も見ることができる場所があります。湖南市の旧甲西町、旧東海道にある、大沙川隧道(おおすながわずいどう)と由良谷川隧道(ゆらやがわずいどう)がそれです。
【大沙川隧道】(湖南市吉永)
滋賀県で最初に作られた道路トンネルで、明治17年(1884)に築造されました。別名「吉永のマンポ」と呼ばれています。長さ16.4m、高さ4.6m、幅4.4m、半円アーチ断面で両側壁とも花崗岩の切石積みで頑丈な構造を持ち、土木学会の評価は「ランクA(=国指定重要文化財に相当)」。
【由良谷川隧道】(湖南市夏見・針)
明治19年(1886)3月20日の竣工です。前述の草津川の隧道も同日の竣工でした。長さ16.0m、高さ3.6m、幅4.5m、欠円アーチ断面で両側壁とも花崗岩切石積みで、大沙川隧道同様、土木学会の「ランクA」評価を得ています。
・おすすめPOINT
もともと天井川が多い滋賀県ですが、湖南市三雲~針地区には天井川が集中しており、江戸時代には大沙川、由良谷川、家棟川の3河川が旧東海道と交差していました。行き来する人々は、天井川に行き会うたびに土手を登り、橋か浅瀬を渡って越えねばならず、「人馬通行ノ難所タルハ衆人ノ熟知スル所」でした。そのため、明治時代に行われた東海道整備の一環として天井川に隧道を作り通行の便を図ることになったのです。
現在、これらの隧道は天井川の平地河川化工事によりその役目を終えており、むしろ自動車交通の障害とみなされたこともありました。実際、3本の天井川に伴う隧道のうち、家棟川隧道は昭和54年(1979)に河川改修工事に伴い撤去され、「家棟川」の題額だけが平松の道端に残されています。私が由良谷川隧道のすぐ横で針氏城遺跡の発掘調査を行った平成20年(2008)には、由良谷川隧道も撤去されるかも、という話が上がっていました。ですが土木学会に評価されたこと、また地元の方々や隧道マニアの方々の熱心な活動により、平成29年(2017)時点では原形のまま使用されており、かつての山の荒廃、天井川の成因や川越の苦労、明治の道路交通の近代化などを教える生きた教材となっています。重厚な貫禄あふれる姿、見ることができるうちにぜひ一度ご覧ください。
・おすすめ周辺情報
大沙川隧道の西側には三雲城址、八丈岩、妙感寺へと続くハイキングコースの入口があります。また、大沙川の堤の上には、「弘法杉」と呼ばれる樹高26m、周囲6m、樹齢約750年といわれる大杉があります。この大杉は「二本杉」と呼ばれることもあり、湖南市指定文化財となっています。様々な逸話が伝えられていて「元は2本あって並立していたが、洪水のため堤防が崩壊して一樹は倒れた」「この地域の子供で左手で箸を持って食事をする者がいたら、この木の枝で箸を作って使用させると自然と右手で食事をするようになる、だから下の方の枝はたいてい切り取られていた」「弘法大師(空海)がこの地方を通過した時、二本の木を植えた」「弘法大師が食事をしたあと杉箸を差しておいたのが芽を出した」「大風のために折れて朽ちたので里人が再び植えたが、安永2年(1773)の台風でその内の1本が倒れた」などなど。
・アクセス
大沙川隧道…
JR草津線 「三雲駅」 下車 徒歩 25分
名神栗東ICから国道1号線を水口方面に走行、「吉永」の信号を右折し、旧東海道を右折してすぐ
由良谷川隧道…
JR草津線「甲西駅」下車徒歩15分
名神栗東ICから国道1号線経由18㎞、大沙川隧道から旧東海道を西へ約1.5㎞
*周辺に駐車場はありません。道幅が狭く、比較的交通量も多いので、見学の際は十分にご注意ください。