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調査員のおすすめの逸品№387 なんじゃこら!!-古墳時代の謎の縄文土器-

草津市

 縄文土器という名前は、その表面に施された縄目の文様に由来します。滋賀県では縄文時代後期後半まで土器に縄目の装飾が施されていたものの、縄文時代晩期になると東日本から運ばれた土器を除いて、縄目の文様は姿を消します。そして、弥生時代になると縄文のない土器が一般的になります。

 そんな中、草津市の中兵庫遺跡の第20号方形周溝墓から出土した古墳時代初め頃の甕には、なんと縄文が施されていたのです。この墓に供えられたと考えられる大中小3つの甕は、草津市周辺の土器の特徴を持っており、最も大きな甕と中サイズの甕には肩部に斜線文が、小さな甕には斜線文、櫛描直線文、櫛描波状文が描かれています。これらの文様は、近江地方の古墳時代初頭の土器にも見られる特徴です。よく見ると驚くべきことに、その文様の下地には縄文が施されていました。

写真1 土師器1 大型の甕
写真2 土師器1の器面拡大: 下地には大きめの縄文が密に施され、肩には湖南地域特有の斜線文が見られる。形は古墳時代初頭に一般的な形をしている。
写真3 土師器2 中型の甕
写真4 土師器2の器面拡大: 下地には小さ目の縄文が間隔を空けて施され、大型の甕と同様に肩には湖南地域特有の斜線文が見られる。
写真5 土師器3 小型の甕
写真6 土師器3の器面拡大: 下地には大きめの縄文が密に施され、大型、中型に比べて加飾性に富み、斜線文や櫛描直線文、波状文など弥生時代的な装飾が見られる。  

 この土器を整理している際、私は思わず「なんじゃこりゃ!」と心の中で叫びました。県内の発掘調査報告書を調べても、古墳時代初頭の土器に縄文が施されている例は見当たりません。まさに謎が深まるばかりです。さらに調査を進めると、同時期の他地域の土器にも興味深い特徴が見られました。たとえば、静岡県東部の弥生時代後期から古墳時代前期の「菊川式」や「大廓式」の壺には縄文が確認され、また韓国の原三国時代から三国時代(日本の弥生時代後期から古墳時代)にかけて、縄目のタタキを持つ土器が日本へ運ばれた例もあります。

 しかし、これらの土器と中兵庫遺跡の甕には直接的な関連性が見られません。一体、古墳時代の人々はどのような発想で甕に縄目を施したのでしょうか。しかも、中兵庫遺跡では第20号方形周溝墓以外の場所からは、こうした縄文が施された土器は発見されていません。もしかすると、土器を作った人々が偶然縄文土器の破片を見つけ、お茶目に縄文を施したのかもしれません。あるいは誰かからの注文で特別に縄目をつけたのかもしれません。

 いまだに謎が残る、古墳時代の縄文土器。今後の研究がこの土器の意味を解明してくれることを期待したいと思います。

(事務局 中村健二)

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