オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品№394 文字が消えた‼ 栗東市上砥山遺跡の墨書土器
平成30年から令和元年にかけて行った上砥山遺跡でのお話しです。本遺跡は、栗東市上砥山に所在する飛鳥時代から奈良時代にわたる遺跡で、国道1号栗東水口道路の建設にともなって発掘調査を行いました。遺跡は、周りを丘陵に囲まれた東西3㎞、南北500~800m程度の狭隘な金勝川によって形成された谷底平野に所在しています。この金勝川を琵琶湖方面へ2.5㎞下ったところには、古代栗太郡の役所であったことが知られている岡遺跡が所在し、反対側の上流部や金勝川の対岸丘陵部には飛鳥時代後期から奈良時代にかけて須恵器窯が営まれていたことが知られています。
上砥山遺跡の発掘調査では、丘陵裾から金勝川方面へ流れていた河川跡がみつかり、飛鳥時代後期から奈良時代にかけての土師器や須恵器といった土器や木製品が多く出土しました。木製品の中には木簡や牛馬を使役して耕す道具である馬鍬といった特殊なものもみつかっています。土器の中には、器面に文字が書かれた「墨書土器」や墨が付着したものが多く出土しており、また須恵器の中には焼けひずんだものもいくつもみられました。これらの出土遺物の特徴や、遺跡の立地からみて本遺跡は、上流域の須恵器窯の生産管理や製品の選別、収蔵・運搬などの管理を担っていた、栗太郡衙の下部施設であったとみられます。
ここで注目されるもののひとつに、上述した墨書土器があります。61点出土していますが、書かれた文字についてみてみると、「太」が多いことが注目されます。可能性のあるものも含めると、「太」1文字が記されるもの27点、「太」を含む2文字のもの3点と、出土した墨書土器総数の半分近くを占めています。とくに須恵器坏の側面に書かれたものでは、13点中11点が「太」もしくは「太」の可能性があります。墨書された「太」については、その意味するところは不明です。上砥山遺跡が所在する「栗太郡」の2文字目である「太」を記した可能性も考えられなくもありませんが、現在のところ事例がないことからなんともいえません。
この「太」の墨書土器のうち1点が今回の表題にかかわるものです。ものは須恵器の蓋です。写真1は出土後に、付着した土を洗い落す前に撮影したものです。外面のツマミの横に「太」の1文字をはっきりと確認できます。この土器を入れたポリ袋には、この情報を明記したカードも一緒にいれておきました。

ところがです、付着した土をとる洗浄作業をおこなったところ、この文字がなんと消えてしまったのです。写真2の左側は、報告書用に撮影したカラー写真、写真3は奈良文化財研究所で撮影していただいた赤外線写真です。どちらの写真でも文字は確認できません。もちろん肉眼でも確認することができません。本当に消えてなくなってしまったのです。
-rotated.jpg)

ちなみに、この蓋の内面には全体に薄く墨痕が付着しており、それは消えてしまわず、現在でも確認することができます(写真4)。なお、内面の器面については、墨をすったようなスベスベ感がないことから、硯として転用したものかは明確ではありません。

この墨書土器の写真1ですが、じつは発掘現場へ調査補助員として来ていたアルバイトの学生が撮影していたものです。彼は当時京都の某大学の大学院生で、それはそれは非常に熱心で、昼休みも食事もそこそこに現場から上がってきた土器をポリ袋から出してはみていました。なかには自前のカメラで写真の撮影し、学びの糧にしていました。写真1は、そんな中で彼が撮影したものです。彼がいたからこそ、墨書が消えたことも証明することができました。その彼も現在では、京都市埋蔵文化財研究所に就職して頑張っているようです。N君!君のおかげだ。ありがとう。もうさすがに、仕事終わりにその辺の川で作業着を洗うことはしてないだろうね。
(調査課 内田 保之) 内田保之の活動は【コチラ】