オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品 No.1 大事なものはいつまでも ―多賀町木曽遺跡出土の懸垂鏡(けんすいきょう)―
今回紹介する逸品は、多賀町木曽遺跡から出土した鏡です。普通の鏡といえば、古墳でみつかるものと思う方が多いのではないでしょうか。そして、最も有名な鏡といえば「卑弥呼の鏡」と呼ばれる三角縁神獣鏡でしょう。中国の魏から卑弥呼の送られたものともいわれ、普段あまり歴史に関心の無い方でも、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
ここで紹介する鏡は、古墳でみつかった鏡でもなく、三角縁神獣鏡でもありません。そのうえ完全な形ではない、破片の鏡です。この鏡がみつかったのは、古墳からではなく竪穴住居でみつかっています。一緒にみつかっている土器が布留式と呼ばれるものであることから、時期は古墳時代前期(約1700年前)と考えられます。この鏡は、直径3分の1程度の破片で、扇形をしています。復元した直径は5.4㎝で、扇の要にあたる部分に鏡の鈕(ちゅう:鏡の背面の中心にある突起状のもので、孔があけられた紐を通す部分)が残っています。色合いは、作られた当時は、赤銅色だったと考えられますが、みつかったときは、緑青色でした。ただし、破片ではあるものの、残りは非常によく、鏡の表面はつるつるで、割れ目も非常に滑らかでした。鏡の文様は、いたってシンプルで、鈕の外側に2重の線が、その外側には珠文(しゅもん)と櫛歯文が巡っています。
では、この破片は、どんな使われ方をしていたのでしょうか。ポイントは2点、鈕が残っている破片であること、表面がつるつるで滑らかであることです。つまり、鈕をそのまま利用して紐を通し、首からかけていたのではないかと想像できます。割れた鏡をペンダントとして使ったというわけです。そのように考えれば、表面がつるつると滑らかなのは、衣服と擦れたためと考えられます。もしかしたらお気に入りのアクセサリーで、毎日布で磨きあげていたのかもしれません。そのように考えたら、なんだか古墳時代の人が身近に感じられますね。
このような鏡本来の使い方ではなく、割れてしまった(割ったのかもしれないが)鏡を使い回した例は、県内でも何例か報告されています。最近では、栗東市十里遺跡の弥生時代後期の溝から、中国鏡の破片に2ヶ所の孔をあけて再加工したものがみつかっています(十里遺跡記者発表資料)。これも紐をとおす孔が2ヶ所あけられており、やはり表面が滑らかで、ペンダントとして再利用していたと考えられています。当時の鏡が、貴重なものであったことは想像に難くありませんが、それは、割れたとしてもその価値は変わることがなかったのでしょう。決して同列に扱うことはできませんが、今でも思い入れのあるものを再加工して利用することがしばしばみられます。例えば、小学校のとき長い間お世話になったランドセルを利用してつくったミニチュアランドセルを記念品として身近においたり、着る機会のなくなった高価な着物を再加工して、バックや洋服に仕立てるなどこのような心情とどこか似通っているのかもしれません。
なお、この鏡が、私が就職してはじめて調査した現場で、鏡は古墳からでるものだと思い込んでいた大学でたての新人が手にした逸品です。
(堀 真人)
参考資料
「木曽遺跡Ⅲ」ほ場整備関係遺跡発掘調査報告書26-1 滋賀県教育委員会・公益財団法人滋賀県文化財保護協会1999年