オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品 No.125 土器に刻まれた初現期の文字資料-野洲市桜生7号墳出土刻書土器-
平成3年5月21日、雨。
雨で現場作業ができないため、4月から発掘調査を行っていた野洲市(当時は野洲郡野洲町)にある桜生(さくらばさま)古墳群の第7号墳から出土した土器に付いた土を洗い落とす作業していた調査補助員さんが、「土器に文字が書いてありますっ!」と報告してきました。
文字は、窯で焼き上げる前のまだ軟らかな土器の表面に先の尖ったもので書かれていて、ヘラ書きの刻書土器と呼ばれているものでした。
6世紀後葉に築かれたと見られる桜生7号墳は、横穴式石室を埋葬部にもつ円墳で、文字が刻まれた土器は横穴式石室の入り口付近で出土しました。石室の中に副葬品として納められていたものが、石室の再利用もしくは盗掘によって外にかき出されたために割れてしまっていました。破片をつなぎ合わせると、口縁部や体部、そして残念ながら文字の一部が見つかりませんでしたが、ほぼ元の形に復元できました。
この土器は須恵器の短頸壺で、口縁部を右側にした体部中程に縦書きで「此者□□首□□」の7文字が刻まれていました。形の特徴や出土状況から、土器の年代は7世紀前半と考えられ、初現期の文字資料のひとつとして注目される発見でした。県内でも最古級となる文字資料の発見です。
文字が記された土器では墨書土器がよく知られています。滋賀県内ではこれまでに1,150点以上が出土していて、それらの年代や分布のあり方からは、文字の普及の様相を知ることができます。その中で大津市関津遺跡から出土した7世紀第2四半期の墨書土器は、県内だけでなく飛鳥地域の墨書土器の変遷でも初現期に位置づけられるものです。このほかに守山市の今市遺跡や大津市穴太遺跡で7世紀後半の墨書土器が出土していますが、まだこの段階での出土例は少なく、奈良時代になってから古代の宮や幹道周辺の官衙関連の遺跡で多く出土しはじめ、一般集落への普及は10世紀後半以降になるようです。
こういった中で、桜生7号墳出土の文字資料は、おそらく須恵器の生産地で刻まれたもので、日常生活での文字の普及に直接的に結びつけられるものではありませんが、文字がいかなる形で、どのような人を媒介として伝播していくかという一面を示すものといえます。
また、多くの墨書や刻書が数文字の記載であるのに対して、この土器の文字は7文字のまとまった文章をなしていて、先駆的なものです。この読みについてはいくつかの考えが示されていますが、「此者□□首□□」の「此者」に続いて氏姓制度の「首」姓を持つ人名が書かれていた可能性が高いと思われます。もしそれが、この古墳に葬られた人であるならば、古墳の墳形や規模と被葬者の階層性や身分との関係を解き明かしていく上でも注目されるものです。
このように桜生7号墳出土の刻書土器は、文字の普及、氏姓制度の地方への浸透、そして古墳の被葬者像などを読み解く鍵となる7文字がくっきりと刻み込まれた、情報いっぱい、盛りだくさんの逸品です。
(大﨑哲人)
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