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調査員のおすすめの逸品 №325《滋賀をてらした珠玉の逸品②》金属がない時代の道具「磨製石斧」ー米原市長沢遺跡出土ー
私たちの現代社会の暮らしの中で、鉄や銅などの金属は、なくてはならないものになっています。鉄や銅は、鍛造(たんぞう※1)や鋳造(ちゅうぞう※2)の技術により様々な形に変えることができることから、一定の強度が必要な部分などあらゆる所に使用され、我々の生活を便利にしてくれています。日本に鉄が伝わってきたのは弥生時代、銅は人間が最初に使い始めた金属と言われています。祭器、装身具、武器・武具そして加工用の道具として重宝されましたが、このような鉄や銅が日本列島に伝わってくるまでに道具として使われていたのは石器です。
最初は人が自然界で容易に手に入る石に打撃や圧力を加えてできる打製石器を道具として使用しますが、そのうちに砂や石同士を研磨することでできる磨製石器が誕生し、研磨された刃による破壊力、切断力は大きく進化したものと思われます。
稲作農耕の発達に伴って各種の磨製石斧や、稲穂を刈る石包丁、穀物をつぶすための石臼・石皿・石杵など、用途に応じて石器の種類も豊富になっていきます。
昭和47年に行われた国道8号長浜バイパス工事に伴う発掘調査では、県北部、長浜平野の中央に位置する長沢遺跡(米原市旧近江町)で、弥生時代中期から後期にかけての旧河道から磨製石斧が出土しています(写真1)。樹木の伐採に使われた太型蛤刃石斧(ふとがたはまぐりばせきふ)、製品を作る際に使われた加工用の扁平片刃石斧(へんぺいかたばせきふ、写真2)、その他にも武器としての磨製石剣(ませいせっけん)などが出土しています。磨製の石斧は、原石を大まかに粗割りした後、打撃を加えて形を整え、こつこつと敲いて全面を平らにし、磨く工程を経て完成させました。
また、長沢遺跡では旧河道内から鍬などの木製の農耕具の未製品なども一緒に出土していることから、これらの磨製の石斧が木製品の加工方法に合わせて使用されたものと推察できます。まず、太型蛤刃石斧を使って樹木を伐採・粗割りし(図1)、カンナの代わりに扁平片刃石斧を使って板材に加工、さらに小型の扁平片刃石斧ないしはノミ形の石斧(写真3)で製品に仕上げていくのです。(図2)
なお、石器の石材は、その地域で比較的入手しやすい石材が使われる場合が多いようですが、用途によってどうしても必要不可欠な石材については、遠く離れた場所から入手する場合もあります。たとえば、「切る」・「削る」作業には、硬くて鋭く割れる石材として黒曜石が選ばれ、その産地である長野県和田峠・島根県隠岐島(おきのしま)などからわざわざから運ばれてきています。
鉄や銅の金属が導入されると作業の効率は格段に進化し、現在では当たり前の道具(素材)となっていますが、今一度、金属のない時代、石器を用いた加工技術やその道具を使った生活を思い描いてはいかがでしょうか。
(吉田秀則)
※1鍛造(たんぞう):金属を叩いて圧力を加えることで強度を高め、目的の形状に成形する技術。(例;包丁、ナイフ、ハサミ、ペンチなど)
※2鋳造(ちゅうぞう):金属を溶かして型に流し込んで成形、固まってから型から出して製品とする技術。(例;釣鐘、銅像、門扉など)
〈出典〉
写真1 長沢遺跡出土の太型蛤刃石斧(滋賀県提供)
写真2・3 扁平片刃石斧・ノミ形石斧の復元品(安土城考古博物館常設展示図録より転載)
図1 太型蛤刃石斧を使った樹木の伐採イメージ図(安土城考古博物館常設展示図録より転載)
図2 扁平片刃石斧を使った板材の加工イメージ図(安土城考古博物館常設展示図録より転載)