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調査員のおすすめの逸品139 川跡から出てきた丸木-農具の原材-
本シリーズ123回目で、蛭子田遺跡から出土した「曲物」を紹介しました。今回もまた同じ蛭子田遺跡の川跡から出土した木製品について紹介します。
蛭子田遺跡は東近江市木村町にあり、名神高速道路蒲生スマートインターチェンジ設置工事に伴って発掘調査を行いました。調査では、縄文時代晩期、弥生時代中期、弥生時代後期~古墳時代前期、古墳時代後期、飛鳥時代~平安時代の遺構や遺物がみつかりました。とりわけ、弥生時代後期~古墳時代前期や古墳時代後期に流れていた川の跡からは、前回紹介した「曲物」をはじめ多種多様な木製品や土器などが出土し、なかでも山に生えていた木の伐採から製品するための加工工程のわかる資料(原材)がまとまって出土したことは、全国的にも事例がたいへいん少なく、注目に値します。
この加工工程のわかる資料(原材)とは具体的にはどういうものかというと、工程毎に大きく3段階の資料があります。まず1段階目として、山に生えていた立木を伐採したままの状態のもの。写真1の「丸木A」がこれにあたります。特徴として、伐採するための切断面である「受け口(木を倒しす側の切り込み)」・「追い口(受け口と反対側の切り込み)」そして受け口と追い口の間の切り残し部分である「ツル」が見られ、切断面の形状はV字形となっています。なかには、写真4の丸木Bのように「ツル」もなく、切断面もV字形ではないものもあり、切断面を整えているものもみられました。ちなみに丸木Aは、長さ318cm、太さ40~56cm。丸木Bは長さ446cm、太さ46~62cmありました。次に工程の2段階目として、1段階目の丸木を一定の長さに切断したものがあります。写真6の丸木Cがこれにあたります。この丸木Cをよくみると、木の左側の切断面はV字形となっているのに対して、右側の切断面は、一方向から斜めに切断されています。この切断面の形状から、左側は立木を切断した時のもの、右側は一段階目の丸木を倒した状態で切断した時のものと判断できます。この丸木Cの長さは150cmほどになります。3段階目の資料は、切断した丸木を、今度は縦方向に割って板状にしたもので「ミカン割り材」と呼ばれるものです。「ミカン割り」とは、木材の中心から放射状に割り取る製材法で、ちょうどミカンの皮をむいた時に中身の房が並んでいる様子に似ていることからついた名称です。破損しているものも多くありますが、状態の良いものをみると、その長さが150cmほどとなり、2段階目の丸木Cとほぼ同じ長さとなっています。
これら各段階の原材の大半は、その樹種がアカガシ亜属であることが、また一つの特徴としてあげられます。木はその種類によって堅い、軟らかい、重い、軽いなどの様々な異なった特性がありますが、木製品の種類や用途ごとにその特性にあった樹種が選ばれます。堅いアカガシ亜属は、おもに鍬や鋤といった土を掘ったり耕したりする農具などに多く用いられます。そのため、蛭子田遺跡から出土した原材は、農具などを作るためのものであったと推測できるのです。
しかし、蛭子田遺跡から出土した木製品の種類をみてみると、以外なことにアカガシ亜属を用いた農具類が少ないのです。つまり、製品に比べて原材の量が多いのです。ここから推測できることとして、蛭子田遺跡は、伐りだした原木から板(ミカン割り材)を作るための製材所であったと考えられます。ここでの工程は、板にするまでで、できあがった板は農具類を作るための材料として出荷していたものと考えられます。そして板から農具を製作するという先の工程は、その出荷先において各自なされたのでしょう。ミカン割り材の長さがどれもほぼ同じになっていることも、流通物の規格品であったからにほかなりません。
これらの原材類については、出土した川から一緒にでた土器が弥生時代後期~古墳時代前期と古墳時代後期の2時期のものがあり、その年代決定の決め手にかけますが、現在のところ諸処検討の結果、古墳時代後期のものであろうと考えています。
先にも書きましたが、ここまでの加工工程のわかる資料はきわめて珍しく、実はすごい発見なのですが、なにぶん地味でマニアックなものなので、注目されるのは木器に興味を持たれ、また研究されておられる人たちだけなのです。
ちなみに長さが3mを越す1段階目の丸木ですが、さすがにこのまま持ち帰ることもできなかったので、切断面部分のみをチェンソーで切り、そこだけを持ち帰ることにしました。現在は保存処理も施され県立安土城考古博物館内の収蔵室で保管されています。
なお、この蛭子田遺跡の詳細については、去る2014年3月に報告書が刊行されました。『蛭子田遺跡1』と『蛭子田遺跡2』の2冊がありますので、そちらをご覧下さい。
(内田 保之)