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調査員のおすすめの逸品147 引っ張りだこの人気者―彦根市佐和山城跡の犬形土製品―
今回は、佐和山城跡から出土した愛らしい犬形土製品を紹介したいと思います。
関ヶ原合戦で敗北した西軍の将・石田三成の居城としてよく知られる佐和山城跡は、彦根市北部の佐和山山頂を中心に、その一帯に広がる城跡です。山上の曲輪(くるわ)群は、彦根城築城後に徹底的な破城にあってしまいました。そのため、天守の石垣をはじめ、お城の痕跡はあまり良好には残っていません。ですが、最近はゲームなどの影響もあって石田三成人気は高く、いわゆる「歴女」と呼ばれる方たちにとっては、三成の出身地である長浜市石田町とともに、佐和山城跡は巡礼の聖地となっています。近年では、彦根市教育委員会文化財課によって整備や測量・発掘調査も進められていて、より身近に感じられる存在になっています。JR彦根駅や近江鉄道鳥居本駅からハイキングに行くにも適当な距離にあり、行楽シーズンには訪れる人が絶えません。
そんな佐和山城跡の発掘調査を当協会が行ったのは、平成21・22年度のことです。といっても山上の曲輪群ではなく、佐和山東麓の平野部での発掘調査でした。このあたりは、『佐和山城絵図』の記載から、家臣団の屋敷地や城下町が広がっていたと考えられていた場所にあたります。実際に発掘調査によって得られた成果も、それを裏付けるものでした。
紹介する犬形土製品は、内堀外側(東側)の城下町の堀の中から見つかりました。この堀は、上・中級武士の屋敷地と考えられる内堀内側(西側)で見つかったものと同規模(幅2.0m前後)だったので、その周辺には下級武士の屋敷地が広がっていたのではないかと考えています。
犬形土製品の大きさは、高さ4.1㎝・長さ4.9㎝・幅2.0㎝と、大人の手のひらにすっぽりと収まってしまう程度です。左脚の先端が少し欠けている以外は、すべて残っています。実際の犬に比べて首が太く・長い反面、四肢が短いため、少しアンバランスとなっていますが、ちょっと左に傾いた顔とともに、それが愛嬌となっています。あるいは、仔犬を模しているのかもしれません。目は竹串のような工具を刺突することで表現しており、鼻や口の表現はありません。耳は垂れていて、いわゆる日本犬の象徴とされるようなピンと立った耳ではありません。また、尻尾は巻いて体にくっついています。
この犬形土製品の年代的な位置づけは、一緒に見つかった土器の特徴から、16世紀末~17世紀初頭頃とみることができます。この時期は、三成が在城した時期から、佐和山城が関ヶ原合戦後に彦根城にその位置をとってかわられ、城下町が廃絶するまでの間とほぼ同じといえます。
この犬形土製品と似たような例を探してみますと、滋賀県内では高島市吉武城跡・野洲市野々宮遺跡・大津市大津城跡についで4例目となります。全国では、東は福島県から、西は佐賀県までの各地で見つかっていることもわかりました。最も多く見つかっているのは大阪府で、とくに大坂城三の丸跡からたくさん見つかっています。このことから、大坂で作られて全国へ広がっていったと考えられます。ただし、さきほど「似たような」と表現したとおり、厳密には一つとして同じものはありません。なぜなら、この犬形土製品は、近世の伏見人形のような型作りではなく、手びねりで作られているからです。そのため、どうしても個体差が出てしまいます。大阪城三の丸跡から出土した事例の分析では、特徴からいくつかにグルーピングすることができ、これは職人ごとの癖ではないか、と結論づけられていました。
犬は、縄文時代から人にとって最も身近な動物であるとともに、狩りでは勢子(せこ)とともに動物を追い詰める役割を担うなど、重要な役割を果たしてきたといわれています。また、我々が持つ犬のイメージでまず思い浮かべるのは、多産であることからくる「安産」ではないでしょうか。戌の日に妊婦さんが腹帯を巻いて安産祈願のお参りをする風習があり、滋賀県の周辺では京都のわら天神がよく知られています。とはいえ、この犬形土製品を安産のお守りに位置づけることは、少々安易かもしれません。当時の日本で最も賑やかだった「大坂」の土産物や玩具としてこの犬形土製品が売られていて、それが各地から来た人々に買い求められた、それだけのことかもしれません。ただ、なぜ「犬」なのか、という部分で疑問が残ってしまいますが。
この犬形土製品は、ほぼ完全な形であることや愛らしい雰囲気から、出土直後からいろいろな展示で出品されている、引っ張りだこの人気者ですので、一度はご覧になった方もいるかもしれません。現在も滋賀県埋蔵文化財センターで開催中の『発掘された近江の城』展「(2015年7月10日まで)にて展示中です。興味のある方はぜひおいでいただき、ご覧になってください
(小島孝修)
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