オススメの逸品
調査員のオススメの逸品 №252 身近なようで身近じゃない?江戸時代の墓石
みなさんはどれくらいお墓参りに行きますか?お盆の時期だけや、春と秋の彼岸などの墓参りの時節だけでしょうか?お墓というと、縄文時代には土壙墓、弥生時代には甕棺墓や石棺墓、古墳時代には大きなマウンドを持つ墳墓など、時代によって墓制は変わっています。現在では「何々家先祖代々」などの文字が刻まれた角柱状の墓石に参ることが一般的ではないでしょうか(写真1)。写真の墓石は長浜市余呉町にある江戸時代後期に庄屋を務め、代々三太夫を名乗った家のもので、近年建てられたものですが、「三太夫」と敢えて刻んでいることから、祖先とのつながりを大切にしていることが窺えます。一方で、昨今では「墓じまい」によって、墓自体をなくしたり、「樹木葬」などの新たな埋葬形態にしたりするなど、墓制が大きく変化しています。
江戸時代の墓標は、基本的には個人の墓標です。ある調査によると、1つの墓石に平均2人しか刻まれていません。夫婦で入っている場合が多いです。「先祖代々」という墓石は少ない傾向にあります。明治時代以降には家族墓が増えます。1つの墓石にかなりの人数を刻まれている場合もあり、私自身最大で28人分の戒名が刻まれた墓石を見たことがあります。そういった江戸時代の墓標は代数を重ねると増えていき、近代以降の「先祖代々」に替わると、それまでの個人の墓標の大半は無縁墓として安置されています(写真2)。無縁墓になった墓石をまじまじと見る機会というのはそうは多くありません。
墓石というものには情報量が多くあります。故人の戒名、没年月日はもちろんのこと、辞世、俗名、続柄といった付帯的情報が刻まれていることもあります。そういった情報の悉皆調査を行うことで、その地域の人口の減る画期というものが見出せることもあります。
さて、墓石の見方ですが、基本的には正面に戒名が刻まれ、いずれかの面に没年月日が刻まれます(図1)。複数人の戒名が刻まれていても、没年月日が対応しており、正面右に刻まれれば、側面右側か右側面にある日付が対応、正面左に刻まれれば、側面左側か左側面にある日付が対応します。もっと多人数の場合、日付と戒名が一致しないこともあります。また墓石の形状では、櫛型と言われる頂部が半円の形状をした墓石や、現在の墓石のような丘状頭角柱と言われるものが多くあります。場所によっては小さい一石五輪塔(写真3)や仏様の形をした墓石もあり、被葬対象の享年で分けられていたり、地域によって墓石の特徴があったりします。石材は花崗岩が多いので風化して読みづらくはなっています。
大名の墓などになるとかなり大きい墓石が残されていたりします。彦根藩主井伊氏の墓所である彦根市清凉寺や、近江の大名で後に讃岐丸亀藩や多度津藩主となった京極氏の墓所である米原市清瀧寺徳源院などは圧巻です。
みなさんもお墓参りに行かれた折には一度墓石をまじまじと見られたらいかがでしょうか。面白い傾向がわかるかもしれません。
(福井知樹)
写真1は横山琢哉氏提供