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調査員オススメの逸品 第210回 堤防からみつかったキセル~東近江市土位遺跡
土位遺跡は、愛知川扇状地に位置する平安時代ごろの集落遺跡です(土位遺跡の位置は、オススメの逸品第175回「土地条件図」に掲載しています)。近くには「延喜式」式内社のひとつに比定されている川桁御河辺神社(かわけたみかべじんじゃ)があり、神社の西側から寺院に使われたと考えられる瓦の破片が出土する場所もあります。
この遺跡内に県道が造られることになり、工事に先行して発掘調査を行いました。調査区の大半は川桁御河辺神社に近接していましたが、私の担当した調査区は、そこからかなり離れた愛知川に最も近いところでした。先行して行われた試掘調査では、大きな川原石を多数確認していたので慎重に掘削したところ、大きな川原石を積み上げた石垣のような遺構を確認しました。そして掘削範囲を広げると石積の列が現れたのです。
はじめは、どのような遺構なのかわかりませんでした。しかし、明治時代の村絵図や陸地測量部地形図、そして空中写真の情報を分析した結果、かつての愛知川堤防の一部だったことがわかりました。
堤防は、生活の痕跡が無いので集落遺跡のように遺物が出てくることはありません。堤防の土から平安時代の土器片が出土しますが、これは堤防をつくるために他の場所から土を持ってきたものと考えられ、堤防の構築時期とは関係ありません。
しばらくして、石積の裏込を取り外したところ、その中からキセルの部品が出土しました。裏込めは、堤防が完成すると地中に埋もれてしまうので、堤防が造られる途中に紛れ込んだと考えられます。たった数点ですが、ようやく堤防の築造年代を推測する資料がみつかったのです。
出土したキセルの部品は、金属製の「雁首(がんくび)」と「吸口(すいくち)」です。雁首と吸口をつなぐ管である「羅宇(らう)」の部分は竹などの有機物でつくられるので、残らなかったのでしょう。
キセルの形状は、時代によって少しづつ変化しており、時代を判定する目安になっています。今回出土したキセルは、18世紀おわりから19世紀はじめ頃の形状に似ています。
愛知川災害の歴史をひもとくと、18世紀終わりから19世紀初めにかけて、増水によって堤防が切れた記録が複数残されています(『神崎郡志稿』下巻)。損傷した堤防は、その都度修復や普請が行われるので、このような堤防工事の時にキセルが石積の裏込へ紛れ込んだ可能性があります。
余談ですが、かつて、堤防や溜池の普請は農閑期に行う作業の一つでした。昭和20年代ごろのことですが、在所の人々が道具を持参して用水路や池を普請していた、と親が話していたことを思い出します。
土位遺跡の堤防内から出土したキセルも、想像をたくましくすれば、近所の人が作業時に、うっかり落としてしまったものかもしれません。
このキセルを見ると、休憩時に一服したものの、作業中に落としたことに気づき、あわてて探しまわる姿を想像してしまうのです。