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調査員のおすすめの逸品№391 唯一見ることのできる六角氏当主の顔は、幕末の絵本のグラビア!『絵本豊臣勲功記』

近江八幡市

 近頃の戦国時代劇では、信長や秀吉、前田利家や柴田勝家など、おなじみの武将だけでなく、一般の知名度が低い人物も登場するようになりました。三好三人衆や宮部継潤などの俳優名がタイトルバックに現れるのは、新鮮な驚きです。それなのに、滋賀県民が密かに(?)期待している六角氏は、いまだにセリフで語られるだけ。寂く思っているのは私だけなのでしょうか?

 その一因かどうかわかりませんが、400年にわたり近江を支配した六角氏当主の誰一人として、顔―つまりは描かれた姿が残っていない事実があります。唯一肖像画が存在したことが確認されているのは、観音寺城が初めて登場する南北朝時代に活躍した氏頼なのですが、現在は所在不明です(どんな絵か興味のある方は、『近江蒲生郡志』第2巻の244ページと245ページの間をご覧下さい)。

 滋賀県立安土城考古博物館で六角氏の展覧会を開催する時はいつも、六角氏の資料がビジュアル的に弱いので、苦労をしています。

 そんな中、収蔵品の中から見つけたのが、幕末から明治の絵本の中にある、六角承禎(諱は義賢)の絵でした(画像1)。義賢は16世紀中頃の当主で、幕府の重鎮であった父の定頼の死後に家督を継ぎ、三好長慶と連携して第13代将軍義輝を京都に戻すなど、政治手腕を発揮します。家督を息子の義弼に譲った後も力を持ち続けましたが、織田信長の上洛の呼びかけに応じず敵対したため、観音寺城を追われ、一族は没落してしまいました。

画像1 「六角承禎」『絵本豊臣勲功記』(滋賀県立安土城考古博物館蔵)から

 出版文化が花開いた江戸時代後期、低い身分から出世して天下人となった豊臣秀吉の物語は、江戸幕府への反発も相まって、民衆に好んで読まれました。寛政9年(1797)から刊行された『絵本太閤記』は、ベストセラーとなっています(ただし発刊2年後に発禁)。承禎の肖像が載る『絵本豊臣勲功記』はその流れを汲むもので、作者は八巧舎徳水。安政4年(1857)から明治17年(1884)にかけて、9編90冊が刊行されました。『絵本太閤記』は物語の合間に挿絵が添えられるだけでしたが、『絵本豊臣勲功記』は現在の雑誌の口絵の部分に、注目する登場人物の淡い色付きのグラビアが数枚ずつ、載せられてます。実は5編までの原画は、この頃活躍していた浮世絵師の歌川国芳が描いています。国芳の浮世絵や奇抜な構図の版画は、近年人気が高まっていることを考えると、絵本の挿絵といえど侮れません(画像2・3)。

画像2 「山門の衆徒、浅井朝倉の諸軍士を饗応す」『絵本豊臣勲功記』(滋賀県立安土城考古博物館蔵)から
画像3 「信長憤火を焼て甲府恵林寺を烬滅せしむ」『絵本豊臣勲功記』(滋賀県立安土城考古博物館蔵)から

 もちろんこれらの絵本に取り上げられた物語やその挿絵は、興味深いエピソードを多く含み、小説やドラマにもよく採用される反面で、後世の想像や創作がほとんどなので、史料として用いることはできません。承禎の姿も、全く根拠のないもののはずですが、当時この物語に夢中になった人々は、このようなイメージで承禎を捉えていたのでしょう。

 この承禎の姿は、現在、滋賀県立安土城考古博物館で開催されている春季特別展 安土城築城450年記念「安土山築城前夜 戦国乱世の城」(6月14日まで)でご覧になることができます。

(高木 子 学芸課)

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