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近江輿地誌略

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調査員のおすすめの逸品 No.136 地域の歴史の宝庫―『近江輿地志略』

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近江輿地誌略
近江輿地誌略

年度のはじめになると,自分が発掘調査を担当する遺跡がきまります。ただちに,事務所を設営したり,作業員さんを手配したり,といった準備作業に着手します。それと同時に,調査を担当する遺跡の所在する地域がどのような歴史をたどってきたのか,つまり遺跡の歴史的環境も調べておかなければなりません。調査するまえに,調査地点がどんな場所であり,調査すればどんな遺構・遺物が出てくるのか,ある程度想定して心づもりをしておかないと,思わぬ展開に大慌てになってしまいますし,出てきた遺構・遺物をきちんと評価することが難しくなるからです。だから,周辺の調査事例を報告書で調べたり,市町村史や地誌,地形図・空中写真等を集めたりして,事前になるべく多くの情報を収集し,それらを検討することになります。私にとって,その作業にかかせない情報の一つが,江戸時代に記された『近江輿地志略(おうみよちしりゃく)』という地誌なのです。
この『近江輿地志略』という本は,江戸時代の享保8年(1723)に,膳所藩士であった寒川辰清(さんがわ とききよ)が,ときの藩主本多安敏の命をうけて編纂に取りかかり,享保19年(1734)に完成した近江国の地誌です。101巻100冊から構成されており,その内容は,近江国の概観からはじまって,12郡の村ごとに名所・旧跡や寺社等を紹介し,最後に「人物」や「土産」(その土地の名産品)が詳細に記されています。記述には,歴史書や古記録から関係する史料が縦横に引用されるとともに,地元の言い伝えも示されています。つまり,この本には,江戸時代(18世紀頃)における近江国の村々の情報がぎっしりと詰めこまれているのです。
もっとも,今となっては記された内容がすべて正確な史実であるとはいいがたい部分もあります。しかし,少なくとも18世紀頃の人々が名所・旧跡や寺社等―今でいう文化財にいだいていた認識を知る手がかりになりますし,遺跡にかんする情報をそこからくみ出すこともできるのです。以前に,野洲地域の古墳―林ノ腰古墳について調べていたさい,『近江輿地志略』の小篠原村にかんする記述のなかに,「古墓」が土取で破壊され,「大なる岩穴」が見つかり,その中からたくさんの遺物が出土した,という記載を見いだしました。この古墳はすでに破壊され,現在では地表にまったく痕跡を残していませんでした。でも,この記載から横穴式石室をもち,豊富な副葬品が出土した古墳であったことが分かったのです。
滋賀県には,江戸時代以来このような地誌・地域史が編纂・蓄積されており,それらが現在でもわれわれの遺跡調査の基礎をつくってくれています。偉大な先達の恩恵に感謝せざるをえません。
ちなみに,滋賀県立琵琶湖文化館には寒川辰清の自筆本が所蔵されており,滋賀県における基本的地誌の原本資料として本県の文化史・科学史・地理学史上極めて貴重な存在であることから,重要文化財に指定されています。この自筆本は容易に閲覧できるものではありませんが,さいわいにも『近江輿地志略』は大正年間に活字本として刊行され,戦後にも校訂本が再刊されており,滋賀県立図書館等で閲覧することができます。

寒川辰清邸跡石碑
寒川辰清邸跡石碑

さらに蛇足ですが,寒川辰清の邸宅は膳所城下町にありました。京阪石坂線中ノ庄駅を下車し,膳所小学校(山側)へむけて徒歩2分程の道路際に邸宅跡の石碑が立てられています。

(辻川哲朗)

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