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調査員のおすすめの逸品 No.80 三輪玉

高島市
逸品80三輪玉
三輪玉

私は以前、思い入れのある逸品として、北牧野古墳群の環頭大刀を紹介しました(第12回)。今回は同じ調査で出土した三輪玉を紹介します。
三輪玉とは、古墳時代の装飾大刀の飾りのひとつで、上面に大小3個のふくらみが溝状に削られた部分をはさんで並び,下面は平らに作られているものです。奈良県の三輪山周辺で多く見つかっていることから、その名前が付いています。装飾大刀はその形から多くの種類にわけることができますが、前回紹介した環頭大刀は柄の先端に単龍の装飾が付くという装飾大刀です。これに対して、三輪玉で飾られる装飾大刀の柄(つか)の先端は楔(くさび)形をしています。三輪玉は、溝状に削られた部分に紐をかけ、柄全体を覆う護拳帯(ごけんたい:太刀の柄を握る際に拳を守る帯)に装着する飾りとして用いられます。装飾大刀の出土例としては、奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳がよく知られています。未盗掘の石棺から装飾大刀などのきらびやかな副葬品が出土して世間を賑わしていた頃、私は大学生でした。考古学の講義では、先生からこの調査の最新情報や古代史における意義などについて教えていただきました。さらに、『アサヒグラフ』などのグラビア誌で金銅製のまばゆい副葬品の数々を見て興奮すると同時に、その種類の多さや精緻なつくりに驚き、感動したことを、今でも覚えています。
北牧野古墳群の発掘調査では、2号墳と3号墳の2基の横穴式石室を調査しました。2号墳は未盗掘で、単龍環頭大刀などの副葬品は埋葬当時のままの状態で出土しました。一方の3号墳は、墳丘の規模が2号墳よりも大きく、さらに石室の構造や規模も2号墳よりも大がかりな印象を受けました。中世の土師皿が石室の中から出土していたことから、その頃までに人の出入りがあったことがわかりました。副葬品のほとんどは持ち去られていましたが、玄室(げんしつ)の床面や羨道(せんどう)には遺物が少し残されていました。羨道右側壁寄りの玄門部から70㎝離れた約1mの範囲では、多くの土師器の破片が集中して見つかりましたが、この土器片の検出作業中に、薄緑色の石がひとつ、少し離れた位置からもうひとつ見つかりました。三輪玉の発見です。素材には緑色凝灰岩を使っています。土師器の破片は復元すると、ほぼ完全な形の長胴甕2点と小型丸底甕1点になりました。三輪玉はいずれかの甕に入れられていたと考えることも可能ですが、2号墳から環頭大刀が出土していることを考えると、3号墳にも装飾大刀が副葬されていたものと考えています。
滋賀県内でこれまでに出土している三輪玉は北牧野2号墳出土例以外に3例が知られています。高島市の鴨稲荷山古墳(かもいなりやまこふん・県史跡)では、石棺に葬られた被葬者の左脇に副葬された装飾大刀の護拳帯が金銅製の三輪玉で飾られていました。また、長浜市山津照神社古墳(やまつてるじんじゃこふん・県史跡)と同市雲雀山古墳(ひばりやまこふん・市史跡)から出土した三輪玉は、水晶製です。いずれも北牧野3号墳の三輪玉とは素材が異なっています。また、他の3例は紐綴じ用の溝は平行ではなく片側が広くなっていますが、北牧野3号墳のものほぼ平行に削られています。

なお、今回紹介した三輪玉は、6月17日まで開催中の滋賀県立安土城考古博物館春季特別展『湖をみつめた王 継体大王と琵琶湖』で、鴨稲荷山古墳の金銅製三輪玉、山津照神社古墳の水晶製三輪玉とともに展示されています。この機会にぜひご覧ください。

(大崎康文)

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