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調査員オススメの逸品 第211回 石匙(いしさじ)―さて、何のための道具でしょう?―

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早期石匙DSC_0146
写真1 早期の石匙(大津市石山貝塚出土、縄文早期後半)
前期後半石匙
図1 前期の石匙(近江八幡市上出A遺跡出土、縄文前期後半)
中期石匙
図2 中期の石匙(大津市粟津湖底遺跡出土、縄文中期前半)

「いしさじ」、この言葉を聞いて、そもそも皆さんは何をイメージされるでしょうか。「いし」の「さじ」?石でできたスプーン?・・これが実は縄文時代の石器、石を素材に作られた道具の名称のひとつだということをご存知の方は、果たしてどれぐらいおられるでしょうか?縄文時代を研究する日本の考古学者にとっては、「石匙(いしさじ)」は、石器の中でも割と馴染みのあるものの一つかも知れません。今回はこの「石匙(いしさじ)」について、その特徴を整理してみましょう。
さて、そもそも石匙というのは、ナイフのような「刃」の付いた石器の一種です。江戸時代の考古・金石学研究において木内石亭がその書で、「天狗の飯匕(めしかい)」と紹介しています。明治期には「石匙」という呼称が与えられ、体系的な研究が行われるようになりました。石匙は、片刃あるいは両刃のいずれのものも見つかっていて、大まかなところでは「刃器(スクレイパー)」と呼ばれる、物を切ったり削ったりすることができる道具、の仲間としても分類します。そして、その刃器の中で、つまみのような突起状の部位を有するものを、特別に石匙として分類しています。
ここで少し石匙の歴史とその変遷を観てみましょう。近畿地方とその周辺地域では、縄文時代早期前半、いわゆる押型文土器が作られている頃(およそ8,000年前頃)に散見的に見つかる事例が、現時点では一番古い事例と考えられています。そして、続く早期後半、いわゆる条痕文土器が作られるようになる頃(およそ7,000年前頃)には、一定量出土するようになることが確認されています。ちなみに、この頃の石匙は、素材剥片の素材面を留めるものが多く、比較的急斜な調整を周縁及びつまみ部に施して整形しているものが多い印象があります。続く前期、特に前期後半(およそ5,000年前頃)になると、その作り方と形状に一定の変化が認められ、表裏面とも平坦な調整剥離が身のほぼ中央部にまで及び、平面形では左右対称のものが目立つようになります。
そして中期(およそ4,500年前頃)になると、その前期後半に広まっていた作り方・形状はあまり見られなくなり、むしろ早期後半頃のものに近い特徴を持つものが主流になります。
その後、石匙は、次第にその出土数が減少していきます。後期・晩期を経て弥生時代(およそ2,500年前頃)には、断片的に散見される程度になります。
さて、改めてこの石匙、みなさんは何に使った道具だと思いますか?結論から言いますと、実はよく分かっていません。一昔前は、つまみの部分に柄を装着したり、紐を結び付けたりして用いた可能性が指摘され、動物解体・処理具、骨角器製作・木器製作用工具、土堀具などに用いられたのではないか、と考えられたこともあります。その一方で、石匙の表面についた細かい傷(使用痕といいます)の分析からは、石匙に特有の、あるいは特定の使いみちを示すような明確な痕跡は見つからない、という指摘もされています。つまり、特にこれといって決まった用途があった訳ではなく、臨機応変に必要に応じて諸事に用いられたのではないか、という意見です。
私自身は、この石匙が、早期前半に出現、同後半には一定量存在していたことから、この特徴的な形~刃部とつまみ部を持つという形~そのものに、少なくとも早期後半の時点で既に何らかの意味があったのではないか、と思っています。色々な地域で概ね同じ時期に似たような形の道具が出現し、しかもそれが一定量存在するからには、そこには何か共通の背景があるのではないでしょうか?そしてその背景に基づいて、この石匙の特徴的な形を生み出す必要を生じさせた、何らかの要望・欲求があるのではないか?と思うのです。ちなみに、縄文時代の中でも特にこの頃にみられる変化で、私自身が気になっているものとしては、
・「貝塚」が形成され始めること。
・「漆」製品が見つかるようになること。
などが挙げられます。もちろんもっと他にもこの頃に変化することはあるのかも知れません。これらの変化と、石匙の出現(発明?)とは、何か関係があるのでしょうか?一見する限りでは、あまり関係の無いことのようにも思われますが、果たして皆さんは、どうお考えになりますか?

鈴木康二
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