オススメの逸品
調査員のおすすめの逸品 No.58 やはり文字はすごい!-六反田遺跡出土木簡
遺跡や遺構の性格、これを判断したり決定することは調査員にとって最も悩ましい仕事の一つである反面、解明したときの醍醐味は格別です。
遺構検出時には地面を丁寧に削り、土の色の変化を見つけ出します。掘削時にはそれがどのように埋まったのかを知るために土の堆積状況を確認しながら行います。そして、中からは様々な遺物が出土します。
出土した土器から時期が推定できます。また、割れて小片ばかりであるとか、完全な形のものが並んでいるとか、土器の出土状況から、遺構の性格を推定することができることもあります。
例えば、私達が土坑(どこう)と呼ぶ、人間の背丈ぐらいの穴がみつかり、短辺に側で完全な形の土器が並んで出土したとしましょう。こんな時、私達は経験則的に「これは墓かな」と思います。これは調査員が頭の中で瞬時に類例を検索して導き出した推測です。例のように比較的典型的な遺構であればよいのですが、人間、今も昔も同じで、様々な人がいますので、どちらかというと典型例の方が少ないといったほうが良いかもしれません。
しかし、ここで紹介する文字資料は、そのような推測に推測を重ね、妥当性を追求していく作業を、一足飛びに超越してしまうすごさがあります。
私は平成20年の1月に、木簡というものを発掘する機会に恵まれました。前年の夏から調査を行っていた彦根市宮田町の六反田遺跡の調査でのことです。ちょうど調査地内で9世紀を前後する川跡がみつかり、その川跡からは大量の須恵器、土師器、木製品が出土していました。その状況を把握していたので、新年会の新年にあたっての抱負で「木簡を掘ること」とちょっと大きく宣言してしまいました。ですから、出土したことには、予想が当たった喜びと、本物に巡り合えた喜びで、本当にうれしかったことを覚えています。
六反田遺跡は彦根市内といっても鳥居本、彦根城と山を挟んだ東側に位置する遺跡です。すぐ近くを古代の幹線道路、東山道が通っています。また、東海地方から京を目指してくると美濃と近江の国境から最初にたどり着く平野部で、なおかつもっとも湖岸に近づく地点にあたります。当時は、現在は干拓されてなくなってしまった入江内湖が遺跡のすぐそばまで迫り、東山道を横切った矢倉川が遺跡内を流れていたようです。このような立地、様々な遺物から、陸上交通から湖上交通の変換を担う公的機関であろうとの推測が可能となりました。
そのように遺跡の性格がおぼろげながら描けるまで来たところで木簡の出土です。木簡は全部で4点みつかりました。彦根市内でははじめての発見となりました。木簡は、文書木簡、荷札木簡、習書木簡の3種類でした。特に文書木簡と荷札木簡は、遺跡の性格を推し量る上で重要な情報を提示してくれました。
文書木簡は古代の公文書のようなもので、県内では宮町遺跡と西河原遺跡群のような宮や郡衙(郡の役所)といわれている遺跡でしか見つかっていません。荷札木簡は「税代黒米五斗」と読むことができました。その内容は、出挙(役所が種もみを貸し出し、収穫時に利子をつけて返す仕組み)の利子分に相当する黒米=玄米、五斗=1俵を示しており、実際俵に付けられていたと考えられます。古代、玄米は役所等で働いている人の食料等に充てられていたことから、おそらく六反田遺跡に郡の役所から運営費として持ち込まれたものであることがわかりました。
このように木簡に書かれていた文字、木簡そのものの存在は、通常の遺物からは窺い知れないことを教えてくれました。学生時代から古文書の読解が苦手で考古学を専攻した私にとっては、嬉しくもありましたが、ちょっと慄いてしまった逸品です。
(堀 真人)