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調査員のおすすめの逸品№381 安土城跡を描いた最古の絵図。ただし100年後のもの!「近江国蒲生郡安土古城図」

近江八幡市

 来たる令和8年(2026)は、安土城の築城が始まって450年目にあたる記念の年です。織田信長が天下統一の拠点として建てたこの城は、総石垣造りで瓦葺きの礎石建物を持ち、高層天主(「天主」は『信長公記』の記述によりこの字を用います)が聳える、革新的な城郭でした。

 ところが、その城が具体的にどのような形をしていたのかは、正確にはわかっていません。「幻の城」と言われる所以です。その理由の一つに、当時の姿を描いた絵図や絵画作品が残されていないことがあります。安土城を復元するには、家臣の太田牛一が記した『信長公記』に載る1,500字程度の文章を元に考えるしか方法がないのが、現在の状況です。

 そのような中で、数少ない手がかりの一つとされているのが、「近江国蒲生郡安土古城図」と名付けられた、摠見寺が所蔵するこの絵図です(写真1)。

写真1 近江国蒲生郡安土古城図(近江八幡市摠見寺蔵)

 貼り継いだ縦135㎝、横115㎝の料紙の中央に、三方を湖に囲まれた城山とその縄張りが描かれており、右上に「貞享四丁卯仲秋」の年紀を含む墨書が見えます(写真2)。これと似た絵図が全国に複数残されており、オリジナルがどれなのかはわかりませんが、製作は築城から約100年を経た1678年のようです。上から俯瞰した平面図のため、天主の復元には役立ちませんが、曲輪の形状や位置、石垣の高さや長さを示す数値は現状に近く、貞享4年当時の城跡を実測して作成されたことが推測できます。

写真2 墨書部分 拡大

 とはいえ、城の機能を失ってから100年後の絵図なので、書かれている情報すべてを信じるわけにはいきません。曲輪には、「羽柴秀吉」や「家康公」、「秋田城介信忠」など実在の人物の名に紛れて、江藤など聞いたことのない名も見られます。現在、それぞれの曲輪が「伝羽柴秀吉邸」と呼ばれているのは、そのためです。特に家康は、家臣ではありませんし、天正10年(1582)に安土に滞在した際には大宝坊という城下の寺に泊まっているので、屋敷を持っていた可能性は低いのです。100年の間に、有名な人物の名が憶測で付けられたり、架空の家臣の名が加えられていったのでしょう。また、絵図では大手門の横の石塁の前後は湖沼(堀)となっていますが、平成の発掘で、石塁には4つの門があり、その前には広場があったことが判明しました。地形もまた、変化しているのです。

 それでも、それぞれの情報が1678年までは遡りうることが確認できる点は重要です。この絵図は、10月11日から滋賀県立安土城考古博物館で開催される「秋季特別展 安土城築城450年記念 天下人の城 安土城」【詳しくはこちら!】に展示されますので、実物を見、現地を確認しながら、使える情報、使えない情報を読み取ってみるのも一興です。

【高木叙子/滋賀県立安土城考古博物館学芸員】

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【秋季特別展 安土城築城450年記念 天下人の城 安土城】 開催概要

1 開催期間 

 2025年10月11日(土)~2025年11月16日(日)

2 観覧時間 

 9時から17時まで(入館は16時30分まで)

3 観覧料  

 大人970円(750円)・大学生700円(520円)・小中高生420円(310円)・県内在住65歳以上の方510円(390円) ※( )内は団体20名以上の料金。

4 休館日  

 月曜日(月曜日が祝日・休日の場合は翌日)

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