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新近江名所図会

新近江名所圖会 第143回 鈴鹿の山と遺跡 ―体で感じた山越えルート―

東近江市
(東近江市)

滋賀県東部に連なる鈴鹿山地。滋賀県側から見ると穏やかに見える山容も、三重県側からでは急峻な壁のように見えます。長さ50㎞以上にわたって連なる1,000m級の山々は、今の私たちからみれば、厄介な障壁にみえるのですが、はるか昔より多くの人々がこの山を越えて行き来していました。山越え道といっても今の登山道のようなものだったでしょうから、大変な苦労があったことでしょう。

東近江市・百済寺南川遺跡に立つ説明板
東近江市・百済寺南川遺跡に立つ説明板
甲賀市・山女原遺跡
甲賀市・山女原遺跡
日野町・ゴマ畑遺跡付近
日野町・ゴマ畑遺跡付近

滋賀県は平野が多いこともあって、開発に伴う発掘調査は平野部に集中しています。しかし、最近では山間地でも遺跡がみつかり、注目されてきています。山間地の遺跡といっても、山岳寺院などのような特殊な遺跡ではなく、東近江市の百済寺南川遺跡や相谷熊原遺跡、甲賀市の山女原遺跡、日野町のゴマ畑遺跡などでは、庶民が暮らした集落遺跡が存在し、古代の山間地の様子がわかりつつあります。このような遺跡は、中世以降の街道や山越えルートの近くに位置しているので、街道や山越えルートの原形はかなり古い時代にまで遡ることを示しているかのようです。
山を越えるのは大仕事であることは想像できますが、衣食住にほとんど困らない今の私たちがその感覚を100%理解することはできないでしょう。それでも、少しでも近づきたいと思い、文明の利器でありつつも人力がモノを言う自転車で、最近は鈴鹿の山を越えようと努めています。今回は、自転車を通じて体で感じた鈴鹿の山越えに少々お付き合いください。

おすすめPoint

延々と続く坂道(国道421号新道)
延々と続く坂道(国道421号新道)
石榑峠の巨大ブロック(国道421号旧道)
石榑峠の巨大ブロック(国道421号旧道)

自転車は徒歩以上に地形がよく分かる気がします。鈴鹿山地は、滋賀県側は勾配が緩く、三重県側は急勾配というのは以前から知っていましたが、最近開通した国道421号の石榑(いしぐれ)トンネルを自転車で越えることにより、勾配の違いを痛感しました。石榑トンネルが開通するまでは、トンネルの北側にある石榑峠を越えなければならなかったのですが、この峠は車で越えるのも難所でした。峠付近は道幅がとても狭いので、車両幅を規制するための巨大なコンクリートブロックが峠の前後に設置されていました。そのうえ、コンクリートの簡易舗装で路面状態は悪く、土砂崩れなどで閉鎖されることもしばしば・・・。トンネルの開通により新道も整備され、かなり走り易くなりました。しかし、それは自動車での話で、やはり自転車で越えるのは楽ではありません。
新道の路面状態は良好なものの、長い登り坂が延々と続きます。思った以上に山深い。健脚な方には大したことはないのでしょうが、脚力も根性も乏しい私には辛い登り坂でした。おまけに荷台には野営道具満載。驚くような勾配ではないのですが、・・・長い。心が折れそうになる。
紅葉で知られる永源寺から1時間程かけて、やっとトンネルに到着。ここからは三重県に向かって下り坂になるのですが、なかなかの坂道で、まるでジェットコースターに乗っているかのようなスピード感。この坂を登って帰らなければならないのか、と思うとゾッとしました。この日は三重県側のキャンプ場で一泊しました。

三重県側から見た鈴鹿の山々
三重県側から見た鈴鹿の山々

翌朝、キャンプ場を出発し、来た道を再び反対方向に向かって走り出しました。今度は三重県側の勾配を体感するのです。山腹の集落を抜けると、勾配は急激にきつくなりました。自転車の変則ギヤは、あっという間に一番軽いギヤを使わざるを得なくなりました。滋賀県側とは比べ物にならないくらいの急勾配。少し吐き気がでるほどに疲れた頃、トンネルに到着しました。「あれ、思ったより早く着いたぞ。」すごく疲れる坂道なのですが、距離が短い分、気持ちは楽でした。
そもそも、このような大人げない旅をしたのは、相谷熊原遺跡の調査がきっかけでした。出土遺物の中に、岐阜県の下呂市付近や木曽川流域でしか採取できない下呂石と呼ばれる石材がありました。このことは、相谷熊原遺跡はそれらの地域と何らかのかたちで関係していることを示しています。一方、相谷熊原遺跡は、八風街道沿いに位置していることもあり、「原八風街道のようなルートがあり、そこを通って来たのかも」と考え、「山越えを少しでも体で感じれば何かわかるかも」と、自分に言い聞かせて旅に出ました。
この自転車旅をして、「道さえ分かっていれば、三重県側から山を越える方がいいかも。意外と多くの人が、鈴鹿の山を越えてやって来たかも。」と感じました。このような感覚的なことは、全く論理的ではないけれど、私なりの考古学の原動力のひとつとなっています。

(重田 勉)

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