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新近江名所図会

新近江名所圖会 第336回 兵どもの夢のあと-東近江市百済寺

東近江市
写真1 本堂
写真1 本堂

東近江市に所在する百済寺は、愛荘町の金剛輪寺、甲良町の西明寺とならんで湖東三山とよばれ、紅葉の名所としても有名です。鎌倉時代には、「天台別院」と称され大寺院として一大勢力を誇っていました。しかし、室町時代には度重なる兵火、とくに元亀4年(1573年)4月11日に信長の焼討によって、全山灰燼に帰してしまいました。
ポルトガル人のカトリック宣教師のルイス・フロイスが、1573年にフランシスコ・カブラルに送った書簡の中での中で「この大学は百済寺とよばれ、互いに独立した多数の僧院あり、素晴らしい座敷及び庭を備えていた。1000戸の坊舎がある地上の天国」とその繁栄ぶりを書き記しています。そして信長に焼かれた様子を「僧院および坊舎の財を略奪し、再び繁栄することがないように僧院、坊舎に火を放ち、悉く灰になった」と表現しています。また、著書の『日本史』の中でも「篤く敬われており、700年このかた、あらゆる戦乱を免れて今に至ったものであるから、そこには相当な富が蔵されていた。それは百済寺と呼ばれた」と在りし日の栄華について書いています。

写真2 苔生した石積みと石段
写真2 苔生した石積みと石段

この元亀4年は、信長にとっては大きな成果のあった年です。室町将軍足利義昭が反信長の兵をあげたものの敗れ、京を去り、越前の朝倉義景は本拠地の一乗谷を攻略され自害、北近江の浅井長政も小谷城を攻められ自害しました。百済寺は、鯰江城に立てこもって信長への反抗をしていた六角義治を支援していたため、焼き討ちされました。『信長公記』には「百済寺堂塔・伽藍・坊舎・仏閣、悉く灰燼となる。哀れなる様、目も当てられず。」と記されています。そして、江戸時代になり、再建され現在にいたります。

◆おすすめPoint
現在も、一大勢力を誇っていた時代の名残が、境内の雛壇状に整えられた坊跡に見ることができます。おすすめは、立派な堂宇が立ち並ぶ壮大な大寺院としての風景ではなく、棚田状に石を積み上げて造られた、連続して続く平坦面です(写真2)。

写真3 飛び出し坊主
写真3 飛び出し坊主

一見すると、え‼と思うかもしれませんが、この何とも言えない雰囲気が良いのです。まさに松尾芭蕉の有名な句、「夏草や兵どもの夢のあと」のような世界が広がっています。立派な建物が立ち並んだ光景よりも、木々の間の苔生した石垣と、その間に延びる石段だけの世界が、在りし日の姿を彷彿させるのです。

※おまけ
駐車場前のバス停に、滋賀県名物の飛び出し坊やの親戚?飛び出し坊主がたっています(写真3)。一見の価値あり‼。

◆周辺のおすすめ情報
周辺には湖東三山の西明寺、金剛輪寺、それと併せて永源寺と紅葉の名所が軒を連ねています。毎年、紅葉のシーズンはどこも大渋滞で、駐車場の満車です。でも、一度は行ってみる価値があります。

そして、湖東三山へいくルート上にある「あいとうマーガレットステーション」は、休憩、お買い物の人気スポットです。中でもジェラートは大人気です。

写真4 あいとうマーガレットステーション
写真4 あいとうマーガレットステーション

(堀 真人)

◆アクセス
【公共交通機関】近江鉄道八日市駅下車、ちょこっとバス「百済寺本坊前」まで30分、JR能登川駅から湖国バス角能線「百済寺本町」下車、徒歩15分
【自家用車】名神高速道路湖東三山SIC下車、約10分

≪参考文献≫
村上直次郎訳・渡邊世祐1928『耶蘇会日本通信』下巻 駿南社
ルイスフロイス著・松田毅一/川崎桃太訳(2000)『完訳フロイス日本史』2 中央公論社
太田牛一著・中川太古訳(2019)『現代語訳 信長公記』第18刷 株式会社KADOKAWA
太田牛一著・桑田忠親校注(2002)『新訂 信長公記』第3刷 新人物往来社

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