新近江名所図会
新近江名所圖會第242回 県立琵琶湖博物館の地下に眠る弥生人のムラ・玉作工房-草津市烏丸崎遺跡
みなさんは、草津市にある滋賀県立琵琶湖博物館ってご存知ですか?年間34万人を超える(2015年度:同館年報20号より)方が訪れるこの博物館は、「湖と人間」をメインテーマに、びわ湖やびわ湖に関わる人々の歴史や文化、びわ湖に棲む生き物たちについて、幅広くかつ詳しく、また分かりやすく展示し、デイスカバリールームなどの体験展示も充実していることから、子どもや家族連れにも人気の博物館として広く知られ利用されています。
さて、この琵琶湖博物館、その地下に今から約2,000年前の弥生時代の遺跡が眠っていました。実は、この博物館およびその敷地の地下には弥生時代の遺跡が今も一部保存されています。今回はこの琵琶湖博物館の地下に眠る遺跡、「烏丸崎遺跡」について紹介したいと思います。
発掘調査は、およそ4万㎡を対象に、1982(昭和57)年度から1990(平成2)年度の足かけ9年間にかけて行なわれました。その結果、弥生時代前期の竪穴建物・掘立柱建物・土坑等からなる集落跡、弥生時代中期の玉作工房・方形周溝墓等が見つかっています。
弥生時代前期の集落跡から見つかったものの中で興味深いのは、「大陸系磨製石斧」と呼ばれる数種類の磨製石斧や、石包丁など、初期稲作技術に伴う可能性の高い石器群がまとまって出土していることでしょう。鍬や鋤といった木製農耕具こそほとんど見つかってはいませんし、調査区域内で田んぼが営まれた形跡も確認されてはいません。ですから直接田んぼを営んだことを示すことはできませんが、この石器群の存在と、調査区内では炭化米の詰まった土坑も見つかっていますから、周辺地域のどこかには少なからず田んぼが広がっていた可能性が考えられます。
しかしその後、弥生時代中期に入って、その様相は一変したようです。実は弥生時代前期の竪穴建物が、噴砂によって分断されている状況が確認されました。噴砂は、マグニチュード7以上の大地震によって生じる、土壌の液状化現象によるものだと考えられています。それだけの規模の地震であれば、当然周りに広がっていた環境も、少なからず何らかの影響を受けた可能性が考えられます。
さて、その後この地域に人々の痕跡が確認できるのは、弥生時代中期前葉です。烏丸半島の先端部分付近、現在芝生広場として利用されている辺りで、「玉作工房跡」と考えられる竪穴建物跡が見つかっています。
竪穴建物の平面形は直径7.5m前後のほぼ円形、床面中央部とこれを中心に五角形に柱が配列されています。そしてもっとも特徴的なのは、その中央部に、石英砂・砥粉が多量に詰まった土坑があり、一面に多量の玉石材片・玉作関連遺物が出土しました。これらの様子からこの竪穴建物は、玉作工房跡と考えられています。なお、出土した玉作関連遺物には、石材を切り分けた石鋸や、玉に孔をあける際に用いた石針とも呼ばれる石錐、そしてこれらの玉作道具を加工した際に生じる砕片類が大量に含まれていました。
おすすめポイント
現在、この玉作工房跡は、芝生広場の中央やや西側の辺りに2棟、地下保存されています。その様子を指し示すものは現地にはありませんが、お近くに行かれた折には、ぜひこの芝生広場を散策いただき、往時を偲んでいただければと思います。
周辺のおすすめ情報
実は、この玉作工房跡から出土した玉作関連資料は、滋賀県立安土城考古博物館の常設展示室に展示されています。また、上述した石器群や炭化米も、企画展等で展示される時があります。上述の芝生広場、そして琵琶湖博物館に来訪された折には、ぜひ安土城考古博物館まで足を延ばしていただき、是非この工房から出土した玉作に関連する資料をご覧ください。往時の玉作に関わった人たちの、工夫と苦労の一端を感じて頂けることと思います。
(鈴木康二)
アクセス
◆滋賀県立琵琶湖博物館
【公共交通機関】JR琵琶湖線草津駅から近江鉄道バス「琵琶湖博物館行き」25分
【自家用車】名神高速道栗東ICから30分
《参考文献》
・滋賀県教教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会(2008)『烏丸崎遺跡・津田江湖底遺跡』琵琶湖開発事業関連埋蔵文化財発掘調査報告書9
・滋賀県教育委員会・公益財団法人滋賀県文化財保護協会(2014)『琵琶湖の湖底遺跡─ 調査成果概要・基礎データ編 ─」 琵琶湖開発事業関連埋蔵文化財発掘調査報告書15-3