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新近江名所図会

新近江名所圖会 第105回 深山の柵 ―人間とカモシカの共生―

甲賀市

甲賀市から日野町にかけての鈴鹿山地を歩くと、山の中に設置された柵に出くわします。数ヘクタール程度の広さを囲んでいて、高さは2m弱です。最近では、ニホンジカやサルなどを対象とした獣害防護柵が、山麓の畑や水田を取り囲んで設置されることが多くなりましたが、この地域の山中で見かける柵は、「特別天然記念物カモシカ」を対象として設置されたものです。
カモシカは、日本を代表する哺乳動物として、昭和9年(1934)に天然記念物、同30年に特別天然記念物に指定されました。指定以前は狩猟対象獣として絶滅の心配さえありましたが、指定以後は保護により急激に個体数を回復させ、多く見かけられる野生動物となりました。

柵で囲われた植林地
柵で囲われた植林地

しかし、増えすぎたカモシカは林業や農業に深刻な影響を与えるようになりました。滋賀県の場合は林業被害が多く、ヒノキの苗木、特に頂頭部の枝がカモシカにとって絶好の餌となったのです。餌となった苗木は多くが枯死し、育ったとしても曲がった、材木として利用できないものになるのです。植林をしてもほぼ全滅となることから、「植林はカモシカに餌を与える作業」とまで言われるようになったのです。
全国的に被害が拡大するなか、天然記念物を所管する文化庁や林業を所管する林野庁、野生動物を所管する環境庁(当時)が協議し、昭和54年にはカモシカの保護を優先させる「カモシカ保護地域」を設定する一方、計画的なカモシカの個体調整もやむを得ずという方針が打ち出されました。これをうけて滋賀県では、昭和58年に鈴鹿山地カモシカ保護地域、昭和61年に伊吹・比良山地カモシカ保護地域が設定されました。
同時に、被害の大きい地域(他県)では、個体数調整も開始されました。個体数調整といえば聞こえは良いのですが、要するに射殺・捕獲です。全国的にも被害が大きく、その対策を求める急先鋒でもあった滋賀県(鈴鹿山地)でも、当然、個体数調整が実施されることは、時間の問題と見られていました。
しかし、当時の甲賀郡森林組合長であったM氏は、「カモシカの住む豊かな森」への愛着を捨てきれず、安易な個体数調整に走らず、防護柵の設置による「徹底した被害防除による林業とカモシカとの共生」を目指すことを決断されました。もちろん四面楚歌ではありましたが、断固として駆除を求める林業家の説得や県・文化庁への予算要望などに奔走されました。さらに、カモシカの個体数調整に反対する人々の中にも、防護柵の設置には懐疑的な意見が多かったようです。
M氏の粘り強い説得と交渉、それに大変な努力の結果、昭和56年度から、鈴鹿山地の植林地(甲賀市土山町)ではカモシカの食害防護柵が設置されるようになりました。鈴鹿の山中で目にする「柵」の始まりです。当初は試行錯誤の連続だったようで、雪による倒壊や動物による引き倒しが発生し、また逆に防護柵がカモシカの保護策になったこともあったようです。しかし、繰り返し事業を行う中で改良が加えられ、次第にその効果も明らかになっていったのです。「徹底した防護柵によるカモシカとの共生」はいつしか「土山方式」と呼ばれ、野生動物と人間の共生の好例として定着し、人々に知られるようになっていったのです。

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青土ダム周辺
青土ダム周辺
畜産技術センターで飼育されているカモシカ
畜産技術センターで飼育されているカモシカ

現在の鈴鹿山地は、カモシカにとっては決して良好な生息状況ではないようです。特に、増えすぎたニホンジカとの関係が注目されています。林業家でさえ、カモシカを目にすることは少なくなったと言われています。そうした中、野洲川ダム(甲賀市土山町)や青土(おおづち)ダム(同)周辺は、比較的カモシカの目撃情報が多い地域です。どちらのダムの近くにも、森林公園(青土エコーバレイなど)があるので、森林浴を兼ねて訪れてみてはいかがですか。ただし、カモシカに会えるかどうかは宝くじ程度の確率と考えておいて下さい。なお、滋賀県畜産技術振興センター(蒲生郡日野町山本)では、保護されたカモシカが飼育されています。ここでは、他の動物とともに自由に見学することができ、ファミリーにもおすすめです。

アクセス

【自動車】青土ダム:新名神高速道路 甲賀土山ICより15分
野洲川ダム:青土ダムより野洲川上流方向へ15分
滋賀県畜産技術振興センター:名神高速道路八日市ICより25分

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(細川修平)

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