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新近江名所図会

新近江名所圖会 第106回 織田淡水の墓

東近江市

日本史上の有名人10名を挙げなさいと問われて、織田信長を選ばない人はまずいないと思います。ここ滋賀県には、安土城をはじめ信長に係わるものは数多くあります。ところが、その子孫となるとどうでしょう。ほとんどの人がその名前すら知らないでしょう。今回紹介するのは、信長のひ孫にあたる人物にまつわるものです。
信長の七男に信高という人物がいましたが、その子高重の時に旗本寄合となり、近江国神崎郡に約2千石を与えられました。その場所は現在の東近江市神田町・野村町・外町にあたります。高重を継いだのは一之です。一之は淡水と号し、元禄8年(1695)6月12日に亡くなっていますが、その墓が東近江市野村町の陽泉院境内にあります。墓はもともと境内にあったものではなく、八風街道に近い林の中にあったものが、数度の移転を経て陽泉院に置かれるようになったとのことです。墓石の表面には「織田淡水府君墓」と刻まれ、側面や背面には一之の事蹟などが述べられています。

織田淡水墓石(正面)
織田淡水墓石(正面)
織田淡水墓石(側面)
織田淡水墓石(側面)
織田淡水墓石(背面)
織田淡水墓石(背面)

実をいうと、一之の本当の墓は東京深川の要津寺にあるそうです。考えてみれば、一之はここに知行を持つとはいえ旗本だったので、江戸に暮らし、墓も江戸にあるのが当然でしょう。しかも、信高流家系の当主のうちどうして一之の墓のみがここに建立されたのでしょうか。まだまだわからないことが多い墓です。「歴代当主の中でも、特に知行地である野村町一帯と縁が深く、供養碑として建立されたのではなかろうか・・・」などと、想像をふくらませてこの墓に参ってみてください。
現在フィギアスケートの選手で、織田信長の子孫として知られている織田信成さん、この信高流家系の末裔です。

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鳩塚
鳩塚

陽泉院境内には、織田淡水の墓とともに「鳩塚」なるものがあります。これは、旧陸軍によって飼育されていた伝書鳩の墓のようです。軍隊によって用いられていた伝書鳩のことを「軍鳩(ぐんきゅう)」とも言い、日本には明治年間に入ってきたそうです。野村町に隣接する沖野には、かつて旧陸軍の飛行場があったことから、その関係で陽泉院境内に「鳩塚」が建立されたのでしょうか。この「鳩塚」ですが、わかりにくい場所にあります。境内は広くないので、じっくり探してみてください。なお、彦根市にある護国神社の境内には、軍によって使われた馬や犬・鳩のための慰霊碑が昭和60年(1985)に建てられています。

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太鼓櫓
太鼓櫓

陽泉院より徒歩数分のところに神田町公民館がありますが、その敷地に太鼓櫓が建っています。太鼓櫓とは、太鼓の打ち方によって火災や水害・集会の知らせなどに使われた、合図のための施設です。旧八日市市内には、こうした太鼓櫓が7基残っているそうです。

アクセス

【公共交通】近江鉄道八日市駅より ちょこっとバス愛東線「野村」下車徒歩2分

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