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新近江名所図会

新近江名所圖会 第295回 一風かわった神の使い  _栗東市 出庭神社(でばじんじゃ)_

栗東市

栗東市出庭

出庭神社本殿
出庭神社本殿

地鎮祭ってご存じですか?家やビルを建てるときや土木工事を行う前に、その土地の神様を祀って工事の安全や順調な竣工を祈願する祭のことです。われわれの仕事は工事ではありませんが、その土地を掘り返すという点では建築や土木工事となんら変わりません。そこでわたしも発掘調査をする前に、ご挨拶程度ですができるだけ近くの神社にお参りをすることにしています。その神社に祀られている神様がその土地に由来する地主神ではなく、どこか他の場所から勧請されてきた神様かもしれませんが、でもとりあえずお参りすることにしています。また、これははじめて調査へ行く場所の周辺を知っておくという意味も兼ねてのことなのです。
昨年の夏から秋にかけて、栗東市の出庭というところで辻遺跡の調査を行いました。調査地のすぐ北東側には野洲川が流れており、調査地に接して守山市との市境もあります。
当然、調査前には地元出庭にある神社、その名もずばり出庭神社
へお参りに行きました。
出庭神社の境内へ入ると、タニシをかたどったオブジェと説明文が記された石造物があります。それによると、出庭神社の神様の使いは「タニシ」であり、当地ではタニシを畏れ敬い食べることも禁止されてきたとのことです。

タニシのオブジェ
タニシのオブジェ

さらに田を耕していてタニシを見つけると「神社にお移り願います」といって、神社のお堀へ移したということです。さらにすごいのは、このようなことを知らずに余所から嫁いだ女性が、実家へ帰ったときにタニシを食べてしまったため病気になり、その後深く反省して 出庭神社にお祈りしたところ、元気になったという伝承もあるとのことです。
皆さんがご存じの神様の使いといえば、お稲荷さんの狐や天神さんの牛、日吉さんの猿といったあたりが有名ですが、「タニシ」というのはかなり珍しいのではないのでしょうか。しかし狐や牛・猿に比べれば、かなり小さいけれど、そのパワーはかなり強いみたいです。
このタニシを使役する出庭神社の祭神ですが、どんな神様でしょう。この文章を執筆する前に、たまたま栗東歴史民俗博物館へ展示を見に行ったところ、なんと小地域展「出庭の歴史と文化」なるものがやっておりました。そこにはラッキーなことに出庭神社の祭神についても解説されていました。それによると、『近江輿地志略』では「牛頭天王」としており、『栗太志』では正殿に「宇賀魂神」、相殿に出庭氏の祖である「彦太忍信命」を祀るとしています。一方、出庭神社の伝承では、寛治6(1092)年に出羽介藤原宣幸がこの地を所領にした折に、出羽国の遠賀神社(山形県鶴岡市)を勧請し、それによってこの地を「出庭」、神社を「出庭大明神」と呼ぶようになったとしているそうです。つまりよくわからないみたいです。ちなみに、「宇賀魂神」は稲荷神を構成する5柱の神様の主神でもあります。ただし守山市にある小津神社の祭神もこの神様のようですが、ここでは稲荷神ではないようです。どのような神様が祀られているにしろ、タニシをお使いにするなんて変わった神様ですね。
発掘調査に入る前にこのようなことを知ったため、この場所ではもうタニシを粗略には扱えません。用水路から調査地を設定した水田への水口にいたタニシを見つけた時は、ついつい手で集めて神社ではありませんが、離れた水路へとお移り願いました。
昨年吹き荒れた台風によって県内の発掘現場でも多大な被害がありました。しかし、この辻遺跡では全くの無傷でした。また、記録的な猛暑であったことも憶えていることと思いますが、誰も熱中症にならずに乗り切ることができました。これもタニシのおかげでしょうか。

周辺のおすすめ情報
神社の西へ1㎞ほどのところに出庭古墳群があります。現在その大半は失われて目にすることはできませんが、亀塚古墳だけが唯一その痕跡をわずかながらもとどめています。墳形は不明ですが、明治年間に開墾した際に仿製品の三角縁三神三獣鏡や鉄刀などが出土しています。
神社の北西へ1㎞ほどのところ、ここは守山市岡町となります。その住宅街の中に寺山1号墳・同2号墳が高さ1mほどのわずかな高まりとして残されています。どちらも直径15mほどの円墳で、守山市指定の史跡となっています。

アクセス
出庭神社へは守山駅より徒歩約20分。駐車場はありません。

(内田保之)

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