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新近江名所図会

新近江名所圖会 第335回 真野の入江と2つの神社-大津市神田神社

大津市
写真1 真野の入江の碑
写真1 真野の入江の碑

JR湖西線堅田駅から北へ、真野川を越えたところに東西に少し開けた場所があります。この地は現在真野と呼ばれているように、真野氏が居住していたと考えられます。真野氏は持統天皇4年(690年)に和邇部臣から分かれたとされ、和邇氏や小野氏などと同様に天足彦国押人命を祖としているといわれています。真野の地名の始まりは、奈良時代から平安時代にかけてこの地におかれた「真野郷」からと考えがちです。しかし、和邇氏の一族がこの地に居住して真野臣姓を与えられた、持統天皇4年以前には真野の地名が存在していたと考えるべきです。真野の南に位置する堅田には、現在の堅田駅の琵琶湖側に南から北東へ大きくのびる砂嘴(さし:河口部の鳥のくちばしのように延びた堤防状の砂の堆積のこと)が発達し、その内側に大きな入り江を作っていました。真野にも入江が存在したと言われ、『新修大津市史』に「室町時代の謡曲「竹生島」では醍醐天皇の廷臣が逢坂越えで大津に至り、「真野の入江」で釣り船に便乗して、竹生島参詣をするという筋立てとなっており、舟着きとしても、その名が知られていた。」と書かれています。
明治時代(20年ころ)の地図を見ると、真野には標高90mの等高線がいくつかの集落を結んでいます。その集落の一つである沢(真野沢)集落と北(真野北)集落の中間に見られる等高線のくぼんだ場所があります。そのあたりが真野の入江であろうと考えられ、「真野の入江」の碑が建てられています。その場所は、湖西線と交わる国道477号を北西に進み、「新宿橋」の交差点を北東に約1km進んだところです。
真野の入江は、古来和歌にもよく詠まれているようで、平安時代の歌人源俊頼が、「鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花波よる秋の夕暮れ」と詠んだように、多くの歌が詠まれていた場所でした。江戸時代には、この入江も埋め立てられたようで碑はその跡地と思われるところに建てられています。

写真2 真野の神田神社本殿
写真2 真野の神田神社本殿

◆おすすめPoint
真野の入江の碑から西に行ったところには、神田神社があります。
神田神社は、『延喜式』に近江国滋賀郡に鎮座していると記載されている神社(式内社)です。祭神は彦国葺命と天足彦国押人命とされています。彦国葺命は真野氏の遠祖であるとされており、彦国葺命の子孫がこの地に社殿を建てたのが神田神社だと言われています。
現在、真野の地に神田神社は二社存在しています。真野4丁目(真野の神田神社:『滋賀県神社誌』にはカンタと読み仮名が振られています)と真野普門3丁目(普門の神田神社:こちらはカンダと振られています)です。式内社によくある問題として、『延喜式』に記載された神社の比定があげられます。つまり、近い場所にそれらしい神社が二社以上現存していると、そのどちらが本当の式内社であるかという点に注目が集まります。以下、二つの神田神社の概要を記してみます。
真野の神田神社は「新宿橋」から北東へ約200m行き、そこから北西に約300m進むと神社の鳥居が現れます。元々は琵琶湖の湖岸線近くに建てられていたと『滋賀県神社誌』にも記されており、神社の説明板にも現在の社殿の数百m東にある真野の入江の汀の字「カンタ」に建てられたのが始まりとされています。従って、真野の入江の碑のあたりに元の神社は所在していたと考えられます。
神社内には多くの境内社が存在し、明治34年(1901年)に県社に指定されるなど、式内社らしい景観を呈しています。また、『近江輿地志略』もこちらを本社とし普門に勧請したという記載があります。

写真3 普門の神田神社本殿
写真3 普門の神田神社本殿

一方、普門の神田神社は真野の神田神社からさらに北西のほうへ約1km進んだ丘陵の先端にあります。本殿の棟札によると明徳元年(1390年)に建てられたことがわかっており、国の重要文化財に指定されています。真野の神田神社からこの地に勧請された時に本殿の建設が行われたとも考えられます。普門の神田神社は、北に曼陀羅山古墳群、南には真野川をはさんで春日山古墳群といった古墳群に囲まれています。これは、北にある小野神社と小野神社古墳群をはじめとした複数の古墳群の関係に見られるように、古代氏族とその墓域と神社との関係性が見られます。また、神社は尾根の先端にあり、現在も農業用水として機能している池を境内に取り込んでいるところから、南東に広がる平地の水源を抑えていたと考えられます。
どちらの神田神社とも、式内社としての甲乙はつけがたいと考えられます。『式内社調査報告』にもあるように、二つの神田神社は二社で一つの式内社と考えたほうがいいのではないかと思われます。

◆周辺のおすすめ情報
周辺にはすでに新近江名所図会に登場した名所が複数あります。小椋神社(第2回)、小野神社(第5回)、浮御堂(第8回)、伏龍祠(第12回)があります。また、今回登場した普門の神田神社の北側に分布している曼陀羅山古墳群は、真野北小学校の北側に横穴式石室が保存されており見学することが可能です。足を延ばしてみてはいかがですか。

写真4 現地保存されている曼陀羅山88号墳
写真4 現地保存されている曼陀羅山88号墳

(三宅弘)
◆アクセス
・真野神田神社
【公共交通機関】JR湖西線「堅田」駅を下車、徒歩約20分
【自家用車】湖西道路「真野IC」から「国道477号線」に入り「新宿橋」交差点を左折、直後の三叉路を左折。約15分
・普門神田神社
【公共交通機関】JR湖西線「堅田」駅を下車、徒歩約35分
【自家用車】湖西道路「真野IC」から「国道477号線」に入りすぐ。約5分

真野・神田神社 大津市真野4丁目

普門・神田神社 大津市真野普門3丁目

≪参考文献≫
大津市役所1984『新修大津市史』7北部地域
黒板勝美編1937『新訂 増補国史大系〈普及版〉交替式・弘仁式・延喜式前篇』吉川弘文   館
滋賀県神社庁1987『滋賀県神社誌』
寒川辰清著 宇野健一編1976『新訂 近江輿地志略 全』弘文堂書店
式内社研究会編1981 景山茂樹 「4.神田神社」『式内社調査報告』第12巻 東山道
1 皇学館大学出版部

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